桑名宿

【2014年5月4日(日)旧東海道 桑名宿】
江場松原跡から旧大福村の集落へ入る。かつての東海道は桑名宿の京方入口にあたる大福村から、北隣の木戸を設ける福江町で桑名城下に入り、七里の渡し場まで沿道には桑名宿の町家が続く。江戸日本橋から数えて42宿目、京都三条大橋からならば12宿目となる桑名宿は、桑名城下に発展した城下町、海路七里の東海道”七里の渡し”の渡船場が設けられ、大勢の旅人を迎えて賑わった。天保14年(1843年)当時の人口8848人、家数2544軒、本陣2、脇本陣4、旅籠120軒。本陣は大塚与六郎家と丹羽善右衛門家、脇本陣は福島屋や駿河屋等が務めた。東海道における旅籠屋数は宮(熱田)宿に次いで多い。桑名宿の町並みは京方より福江町・矢田町・鍋屋町・伝馬町・新町・鍛冶町・吉津屋町・京町・片町・江戸町・川口町・船馬町と続き、川口町に七里の渡しの渡船場があり、桑名宿と宮(熱田)宿を結ぶ東海道の七里の渡し、桑名宿と佐屋宿を結ぶ佐屋街道の三里の渡しの渡船が発着。また、江戸町と川口町の境から美濃へと通じる美濃街道が分岐した。

「その手は桑名の焼き蛤」
江戸時代には既に使われていたという遊び言葉で、「その手は食わぬ」と言うべきときに、「食わぬ」に「桑名」を当て、名物の焼き蛤を言葉に足す。そんな遊び言葉に使われる程、焼き蛤は桑名の名物だった。伊勢湾に流れ込む木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の水が良質の蛤を育んできたわけだが、古くから木曽三川は幾度となく氾濫を繰り返し、下流域にあたる桑名や長島一帯の住民は洪水に苦しめられた。宝暦3年(1753年)の大洪水を機に、幕府は木曽三川の治水工事を決め、遠く離れた地の薩摩藩に命じる。幕府の命とあっては対岸の火事とはいかない薩摩藩は、多くの私財と犠牲を払って1年余りで難工事を完了させた。この工事による薩摩藩主島津家の支出は約40万両、従事した藩士は約1千名で、80名以上が病や切腹で命を落としている。


より大きな地図で 桑名宿 を表示


了順寺の黒塀
桑名市大福に入り、了順寺の見事な黒塀を横にみながら。


了順寺
了順寺の山門は桑名城の城門を移築したものと伝わる。


旧東海道 桑名市大福
旧大福村の集落は桑名宿の京方入口にあたる。ここから七里の渡しの渡船場まで旧東海道筋には町家が続いた。


ゑびすや
福江町の旧東海道筋にある御菓子司”ゑびすや”に立ち寄り。


ゑびすやのちまき
”ゑびすや”で”ちまき”を購入。笹に包まれた感じが何だか懐かしい。


旧東海道 桑名市西矢田町
西矢田町で旧東海道は鉤の手に曲げられる。旧矢田町は桑名城下に置かれた立場で、”久波名名所図会”には「此立場は食物自由にして、河海の魚鱗、山野の蔬菜四時無き事なし」と書かれ、宿屋や茶屋が多くあった。


旧東海道 桑名市西矢田町02
西矢田町の鉤の手にある火の見櫓。平成3年(1991年)再建のもの。


旧東海道 桑名市西矢田町03
西矢田町を行く旧東海道。


立坂神社参道入口
立坂神社参道入口。旧東海道に面して鳥居が立つ。


立坂神社参道
立坂神社参道。


馬繋ぎの鉄環が残る旧商家
矢田立場の面影を残す旧商家。馬繋ぎの鉄環が残る。


善西寺
走井山善西寺。


矢田町交差点
国道1号と旧東海道が交差する矢田町交差点で西矢田町から東矢田町に。


中川梵鐘店
江戸末期創業の中川梵鐘店。桑名は古くより鋳物産業が盛んで、その起源は江戸時代初期、本多忠勝が桑名藩主の時に鉄砲の製造を始めたのが起源といい、灯籠や梵鐘、農具をはじめ、鍋などの日用品が生産された。桑名市本町に鎮座する春日大社の青銅鳥居は、寛文7年(1667年)に桑名の鋳物師、辻内善右衛門尉藤原種次により鋳造されたもの。


山城屋本店
東矢田町の旧東海道沿いにある山城屋本店。看板に書く”お嫁入りふとん”が時代を感じさせる布団屋さん。


日永屋
西鍋屋町に入って衣料品店の日永屋前を行く。


明円寺
浄土真宗大谷派の明円寺。


一目連神社
西鍋屋町に鎮座する一目連神社。


本願寺
東鍋屋町の旧東海筋にある本願寺。本堂等の建物が残っておらず跡地と言ってもよい状態。かつては付近一帯が本願寺村と称する程の巨刹だった。

 
梅花佛鏡塔
本願寺境内に残る梅花佛鏡塔。松尾芭蕉の門人の各務支考(かがみ しこう)の分骨墓で、各務(かがみ)の名にちなみ墓石は鏡の形を模している。享保16年(1731年)各務支考が美濃国で亡くなった折、支考の門人で桑名の美濃派俳諧の指導的立場にあった雲裡坊杉夫は、支考の分骨を受けてこの鏡塔を建立した。


天武天皇社
天武天皇を祭神に祀る全国唯一の神社、天武天皇社。東鍋屋町の北側に鎮座する。壬申の乱(672年)の際、大海人皇子(後の天武天皇)が桑名に泊まったことに起源があるという。


広瀬鋳物工場跡
広瀬鋳物工場跡。江戸時代初期、桑名藩主の本多忠勝が桑名城の建造と城下町の整備に伴いここに鋳物工場を建設、鋳物師の広瀬氏を招いて鍋や釜、梵鐘等を製造させ、後に鋳物製品は桑名の特産品となった。この辺りの地名を鍋屋町と称する由縁である。広瀬鋳物工場は明治期に名古屋へ移転、現在はヒロセ合金として鋳物製造を続けている。


七曲見附跡
日進小学校南交差点付近、七曲見附跡。写真は七曲見附跡から伝馬町南端の旧東海道を望む。ここが東鍋屋町と伝馬町の境にあたり、かつては街道をコの字形に曲折させ、七曲御門(釘抜門とも)と番所が設けられていた。


報恩寺
伝馬町に入って間もなく、浄土真宗本願寺派の謝徳山報恩寺。


長円寺
浄土真宗本願寺派、長円寺。慶長年間の城下町割の際に江場村(現 桑名市江場)から現在地へ移転した。「桑府名勝志」、「久波奈名所図会」、「桑名の千羽鶴」を所蔵し、いずれも市指定文化財を受ける。


旧東海道 桑名市伝馬町
伝馬町を行く旧東海道。伝馬町は慶長年間の城下町割により、伝馬年寄や伝馬持ちの者がここに屋敷地を与えられたことに因む。また、この時に周辺の寺が集められて寺町を形成した。


寿量寺
日蓮宗寿量寺。元は今一色町(現 桑名市今中町・今北町・今片町等)辺りにあったが、慶長年間の城下町割の際に伝馬町の現在地に移った。


十念寺
浄土宗十念寺。元は朝明郡切畑(現 三重県菰野町)にあったが、室町期に桑名へ移り、慶長年間の城下町割の際に現在地へ移った。境内に桑名藩士森陳明(つらあき)の墓がある。森陳明は戊辰戦争で藩主松平定敬に従い函館まで転戦、敗戦降伏後に桑名藩の戦争責任を一身に負い、東京深川の江戸藩邸で切腹した。


光徳寺
新町の南端にある浄土宗光徳寺。古くは泡洲崎念仏道場と称す。江戸中期に桑名の豪商で、万戸焼の創始者沼波弄山(ぬなみろうざん)の墓がある。


泡洲崎八幡社
泡洲崎八幡社。江戸期以前の桑名には町屋川が流れ込み、自凝洲崎(おのころすざき)・加良洲崎・泡洲崎の三洲を形成、この付近一帯が泡洲崎の旧地で、泡洲崎八幡社は鎮守だった。


旧東海道 桑名市新町
桑名市新町を行く旧東海道。新町は慶長年間の城下町割により新しく開発された地だったことに地名の由来がある。


東京屋
長い年月、風雨に晒されてきたのだろう看板には東京屋の店名。肉屋さんだったようだ。


旧東海道 桑名市新町
新町の北端付近で旧東海道は鉤の手に曲がる。写真のいもや本店前(京方面)から手前にかけて折れる道筋が旧東海道。


旧東海道 桑名市鍜冶町
鍛冶町に入ってすぐ、旧東海道の一部分が道幅を広げる。ここは新町と鍜冶町の境をなす水堀に架けられた七ツ屋橋西詰の枡形跡。桑名城下の面影を残す道筋である。


旧東海道 桑名市鍜冶町
鍜冶町で旧東海道はコの字形に曲折する枡形道に。吉津屋見附の名残である。


貝増本店
鍛冶町の枡形道沿いにある貝増本店。志ぐれ蛤を商う。志ぐれ蛤は焼き蛤と共に桑名の名産品で、むき身の蛤を佃煮にしたもの。元禄年間(1688年~1704年)から製造されるようになり、保存性が高く土産物として人気を博した。


吉津屋見附跡
吉津屋御門と番所が設けられていた吉津屋見附跡。江戸時代初期にこの辺りは吉津屋町に属していたため、吉津屋見附の名を称す。後に鍛冶町が成立すると鍛冶町御門の別名が付いた。


吉津屋見附跡
吉津屋見附跡の枡形を江戸方から望む。枡形道がわかりやすいよう旧東海道を赤線で示す。かつては右に曲がった所に吉津屋(鍛冶町)御門があり、枡形中央部に水堀が入り込んでいた。明治維新後に枡形中央部の水堀は埋め立てられ、七宝座という芝居小屋が開設されたが、現在は住宅地となっている。


旧東海道 桑名市鍜冶町
鍛冶町を行く旧東海道。鍛冶町は江戸時代初期に吉津屋町から分離し、隣接する七ツ屋町と合併して成立。鍛冶屋が多くあったことに地名の由来。


旧東海道 桑名市吉津屋町
鍛冶町と吉津屋町の境、旧東海道は”よつや通り”と名付けられる。


浅井屋本店
吉津屋町を行く旧東海道。浅井屋本店の立派な店舗が目立つ。吉津屋町は古く4軒の家があったことから”四ツ屋”と呼ばれ、後に現在の地名が当て字されたことに由来。天明6年(1786年)から寛政9年(1797年)まで桑名藩の米札会所が設けられていた。米札とは江戸時代に諸藩が発行した藩札で、米の量とその金銭に換算した額が記される兌換通貨。藩は買米のときに金銭の代替えに支払った。


京町毘沙門天堂
吉津屋町から京町に入ってすぐ、京町毘沙門天堂がある。かつてこの辺りの旧東海道はコの字形に曲折する枡形で、京町見附の京町御門と番所が設けられていた。現在は見附の遺構はもちろん、枡形の道筋も失われている。


旧東海道 桑名市京町
京町を行く旧東海道。京町の名の由来は不明だが、江戸町に相対して名付けられたのだろう。かつて京町には橘屋があり、”美清香伽羅油”を製造販売、各地に送られる名産品だった。伽羅の油は鬢付け油の一種で、今で言うヘアスタイリング剤。橘屋が京町のどこにあったかは不明。


旧東海道 桑名市片町
旧東海道は京町と片町の境で桑名城の外堀に接して左折。現在は城内に向かって直進できるよう外堀に南大手橋が架けられるが、江戸時代には少し北側に橋が架けられていた。


桑名城堀川
桑名城の外堀をなす堀川。写真堀川の左手が桑名城内の武家地で、右手が片町の商人地。片町は東側が堀川の外堀、西側のみに町家が並んでいたことに片町という地名の由来がある。


桑名城城壁
堀川東岸に残る石垣は桑名城の城壁遺構で、川口樋門から南大手町にかけての約500mに渡り現存する。石垣の積み方は野面積みと打ち込み接ぎの2工法が見られる。


春日神社の青銅鳥居
青銅鳥居が立つ春日神社参道を境に片町から江戸町へ。


春日神社の青銅鳥居
春日神社の青銅鳥居は寛文7年(1667年)、桑名の鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次により鋳造され建立、2代目にあたる。初代の鳥居は木製で、慶長7年(1602年)初代藩主の本多忠勝により寄進、承応2年(1653年)に台風で倒壊した。約350年に渡って立ち続ける青銅鳥居、江戸時代に盛んだった桑名の鋳物産業を今に物語る。


しるべいし
青銅鳥居前に立つ”しるべいし”。この石標は”迷い児石”とも言われ、正面に「志類べ以志」(しるべいし)と刻み、「たづぬるか多」と刻む左側面に迷子の特徴や服装等を書いた紙を貼り、「おしゆるか多」と刻む右側面に迷子が居た場所を貼り付けた。今で言う遊園地やテーマパーク等の迷子センター的な役割を果たしていたようだ。


旧東海道 桑名市江戸町
江戸町を行く旧東海道。江戸町は江戸より渡辺忠八という人物が来住したことに地名の由来があるらしいが、この人物が何者なのかは不明。江戸時代初期には本陣、天保年間(1830年~1844年)には3軒の脇本陣が置かれた。


旧東海道 桑名市江戸町
江戸町にある歌行燈。明治10年創業の老舗日本料理店。ここで桑名の焼き蛤を食べられるようだ。要チェック。


旧東海道 桑名市川口町
川口町に入ると旧東海道筋に割烹・季節料理の”日の出”が目に留まる。ここのメニューにある”はまぐり鍋”は”美味しんぼ”にも描かれているらしい。


丹羽本陣・問屋場・舟会所跡
川口町は桑名宿の江戸方入口にあたり、七里の渡しの渡船場があって丹羽本陣をはじめ問屋場や舟会所が置かれた。写真左奥の建物辺りが丹羽本陣跡、その手前に問屋場と舟会所があったようだが、正確な位置は不明。


伊勢国一の鳥居
七里の渡しの渡船場跡に建つ伊勢国一の鳥居。この鳥居から北側が船馬町。大塚本陣をはじめ、脇本陣駿河屋や高札場があった。船馬町は伝馬と渡船の役を引き受けるにあたり、川を埋め立てて新たに開発された地だったことに地名の由来がある。


脇本陣駿河屋跡
脇本陣駿河屋跡の料理旅館山月。桑名宿に4軒あった脇本陣のうち、最も格式が高かった。


大塚本陣跡
料理旅館山月の西隣には明治時代創業の料理旅館船津屋。ここが桑名宿で最高格式を持った大塚本陣跡で、裏庭に専用の船着場を設け、大名等が乗る御座船が発着した。


歌行燈句碑
かはをそに 火をぬすまれて あけやすき

船津屋にある歌行燈句碑(昭和31年建立)。これに刻む句は、泉鏡花が船津屋に宿泊した印象を基に書いた小説「歌行燈」(明治43年発表)を、昭和14年(1939年)に劇作家の久保田万太郎がここを訪れて戯曲に書き、その際に船津屋主人の求めに応じて詠んだ句だという。小説の中に裏の河岸から”かわうそ”が這い上がり、悪戯をするという噂話の描写があり、これを基にして作句したようだ。


蟠龍櫓
渡船場跡付近にある蟠龍櫓は平成15年(2003年)の復元。元禄14年(1701年)桑名に大火があり、桑名城は天守閣や櫓を類焼、後に天守閣は再建されなかったが、51もの櫓を有する名城だった。数多くあった櫓の中でも、揖斐川に面する蟠龍櫓は、七里の渡しを往来する旅人が必ず目にしたはずで、桑名城のシンボル的建築物だった。


三之丸水門と揖斐川
三之丸水門から揖斐川(七里の渡し跡)を望む。対岸は長島である。渡し船が行き交ったのも今は昔、現在は桑名宿と宮宿を結ぶ航路が無く、船で渡ることができないのは残念。


伊勢国一の鳥居
伊勢国一の鳥居から伊勢神宮を遥拝し、本日の歩き旅を終えよう。


【旧東海道歩き 第9日目】近鉄四日市駅→四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡→JR桑名駅 歩行距離約18.1km
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しまむー

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自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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