鳴海宿

【2014年6月8日(日)旧東海道 鳴海宿】

鳴海潟 汐の満干の度ごとに 路踏みかふる 浦の旅人

南北朝の時代、後醍醐天皇の第四皇子宗良親王が鳴海で詠んだという歌である。かつて鳴海の地は南西一帯に鳴海潟と呼ばれた干潟が広がり、古くから多くの歌枕に詠まれる景勝地だった。北西の笠寺方面に向かう旅人は干潮を見計らい、美しい青松白砂の松巨嶋を前方に見つつ、海の中に現れた道を踏みしめたのだろう。そんな在りし日の情景が目に浮かぶ歌である。しかしながら江戸時代初期から鳴海潟は干拓が進み、いつしか松巨嶋の青松白砂は消え失せ、宅地化した今に往時を偲ぶことは難しい景観となってしまったが、鳴海宿西外れの三王山に登って西を望めば、建物が林立する地形に何となく静かな波音を聞き、潮の香りを嗅ぐのである。東海道は江戸時代初期に鳴海潟の干拓地を横断して東西へ通す。

鳴海宿は天保14年(1843年)当時の人口3643人、家数847軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒。宿場京方より丹下町・北浦町・花井町・山花町・作町・根古屋町・本町・相原町・中島町・平部町と続き、中心部の作町・根古屋町・本町に本陣・脇本陣や旅籠が集まり、京・江戸方両入口に常夜燈を置く。本陣ははじめ浅岡家、後に根古屋町の西尾伊左衛門家が代々務め、嘉永年間(1848年~54年)より下郷(千代倉)家が引き継ぐ。脇本陣は江戸時代後期に本町の銭屋新三郎家と大和屋左七家の2軒、問屋場が花井町と本町に設けられ月番で務めた。名産品に絞り染めの有松・鳴海絞りがあり、現在は国の伝統工芸品に指定。

江戸時代前期に下里(千代倉)家二代当主を務めた吉親は、俳号を知足という芭蕉門下の俳人で、鳴海六俳仙の筆頭。本陣職の寺島伊右衛門(俳号を芙言)や問屋職の児玉重辰らが鳴海六俳仙に名を連ねた。下里家は千代倉の屋号で酒造業を営んだ豪商、三代目の時に”下里”から”下郷”へ字を変えている。知足をはじめ、秀雄(知足の長男で千代倉三代目、俳号蝶羽)、元雄(知足の四男で千代倉四代目、俳号亀世)、昌雄(蝶羽の九男で千代倉五代目、俳号常和)、寛(亀世の四男で千代倉六代目、俳号学海)ら多くの俳人を排出した。松尾芭蕉は貞享から元禄年間(1684年~1704年)にかけて4度鳴海を訪れ知足亭に宿泊、10泊という長逗留になることもあったようだ。




三王山
三王山の山裾を通り抜ける旧東海道。この辺りは往古の昔、鳴海潟の海浜だった場所である。


千句塚公園
三王山山頂に整備された千句塚公園。この場所が鳴海六俳仙の一人、寺島安信の屋敷跡らしい。寺島安信は本陣を務めた寺島(西尾)家の分家にあたる。


千鳥塚
三王山山頂にある千鳥塚。この碑は松尾芭蕉が貞享4年(1687年)寺島安信亭で詠んだ「星崎の 闇を見よとや 啼千鳥」を立句とする歌仙の巻が満尾したことを記念して建立。表面「千鳥塚」の文字は芭蕉の筆、裏面に「千句塚」と鳴海六俳仙の名が刻む。芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚だという。


三王山より鳴海潟跡を望む
三王山山頂より鳴海潟跡を望む。眼下の低地が鳴海潟、その奥にみえる小高い場所が笠寺の台地で、かつての松巨嶋である。昔は青松白砂の浜辺、干潮で現れる砂洲、そこに千鳥の群れが飛ぶ美しい景色が広がっていたのだろう。


鉾ノ木貝塚
三王山西麓、旧東海道沿いにある鉾ノ木貝塚。縄文時代早期から前期にかけての貝塚とのこと。つまり、今から1万年前以上前の貝塚で、太古の昔に海と共に暮らす縄文人の営みがここにあったわけだ。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町三王山
三王山西麓を行く旧東海道。


丹下町常夜燈と旧東海道
鳴海宿京方入口に立つ丹下町常夜燈。寛政4年(1792年)建立。常夜燈の立つ北東側一帯は三王山南端にあたり、戦国時代の桶狭間合戦当時、丹下砦が築かれていた場所。現在は光明禅寺がある。


光明禅寺(丹下砦跡)
丹下砦跡にある光明禅寺。丹下砦は織田信長が今川勢の最前線鳴海城を包囲するために築いた砦の一つ。桶狭間合戦当日、熱田神宮から今川義元を迎撃に向かう信長は丹下砦に入り、善照寺砦・中島砦を経て桶狭間に至ったと伝わる。


成海神社参道
旧東海道から成海神社参道が延びる。成海神社は延喜式内社で、日本武尊を主祭神に祀る。元は扇川北側の天神山にあったが、応永元年(1394年)その地に足利氏の武将安原宗範が根古屋城(鳴海城)を築いたため、現在地の乙子山に遷座したという。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町北浦
鳴海町北浦の町並み。


長翁寺
白龍山長翁寺。当初は鳴見町薬師山の地にあったが、永正年間(1573年~92年)に現在地へ移転。本尊は釈迦牟尼仏。薬師堂に安置する薬師如来像は、織田信長の持仏と伝わり”織田薬師”と呼ばれる。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町作町
鳴海町作町の町並み。


東福院山門
東福院山門。東福院は鎌倉街道沿いの地にあったが、寛永年間(1624年~45年)現在地に再建。鳴海(根古屋)城の廃材を用いた山門が残る。


東福院観音堂
東福院山門脇の観音堂には絵天井が見られる。


作町交差点
旧東海道は作町交差点で北から東へ曲がる。かつては作町から本町にかけて旅籠が軒を連ねた。


如意寺
作町にある頭護山如意寺。康平2年(1059年)開山、当初は青鬼山地蔵寺の名で鳴海町上ノ山辺りにあったが、 応永5年(1398年)如意輪観音を本堂に祀り現在地へ移転、応永20年(1413年)現在の寺号に改めた。本尊の地蔵菩薩は尾張国六地蔵第四番、蛤地蔵と呼び親しまれる。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町作町02
鳴海町作町の町並み。


鳴海宿本陣跡
鳴海宿本陣跡。ここに代々本陣を務めた西尾伊左衛門家の屋敷があり、その規模は間口39m・奥行・51m・建坪235坪・総畳数159畳。幕末に下郷(千代倉)家が本陣を引き継いでおり、その後に西尾家の本陣屋敷がどんな命運を辿ったのかはわからない。


旅籠扇屋跡
本陣跡向かいは旅籠扇屋跡。文化8年(1811年)扇屋からの出火で、本陣・脇本陣をはじめ宿場中心にあった旅籠の大半が焼失した。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町根古屋
鳴海町根古屋の町並み。


札の辻(本町交差点)
本町交差点はかつて東海道と庚申坂が交差する札の辻で、高札場が置かれていた。写真は交差点から江戸方の旧東海道を望み、左交差点角辺りが高札場跡、右交差点角辺りに脇本陣があった。ここの脇本陣が銭屋なのか、大和屋なのかは不明。


札の辻(本町交差点)と庚申坂
本町交差点より庚申坂を望む。坂途中の三菱東京UFJ銀行の鳴海支店前に復元高札があるようだが、何故か全く気付かなかった。


誓願寺
下里知足の菩提寺、誓願寺。


芭蕉最古の供養塔
誓願寺境内にある芭蕉供養塔。芭蕉没年の元禄7年(1694年)に建立、芭蕉の供養塔としては最古のもの。


圓道寺山門
庚申山圓道寺。山門に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿像を掲げる。庚申信仰に基づく曹洞宗の尼寺。天正年間(1573年~92年)の開創で、青面金剛像を本尊とする。


圓道寺本堂
圓道寺本堂の屋根にも三猿像が。


天神社
庚申坂上に鎮座する天神社。成海神社の旧地にあたる。成海神社は応永元年(1394年)、根古屋城(鳴海城)の築城にあたり、現在地の乙子山へ遷された。


鳴海城跡公園
鳴海城跡公園。鳴海城は桶狭間合戦時に今川勢最前線の城で、岡部元信が城主。総大将の今川義元が織田勢の奇襲で討ち取られ今川勢は総崩れになったが、元信をはじめとする鳴海城兵は籠城して織田勢に抵抗を続け、義元の首級と引き換えに城を明け渡した。その後は織田方の佐久間信盛が城主に。天正年間(1573年~92年)末期に廃城になったといわれる。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町本町
鳴海町本町の町並み。


東(本町)の問屋場跡
名古屋市緑生涯学習センターの場所が東(本町)の問屋場跡。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町相原町
本町と相原町の境、旧東海道はクランク状に曲げられる。現地では曲尺之手(かねのて)と紹介されているが、枡形と呼ぶことが多い。旧宿場町や城下町でよく見られる道の形状で、見通しを悪くすることで敵の侵入を防ぐ目的がある。


御菓子司菊屋茂富
曲尺之手にある”御菓子司 菊屋茂富”。安政4年(1857年)開業の老舗和菓子店。

和菓子の菊屋茂富
http://www.mc.ccnw.ne.jp/kikuya/


御菓子司菊屋茂富
菊屋茂富で”鳴海潟と”いう阿波和三盆糖を用いた干菓子を購入。


千代倉 夢斉工房
相原町に”千代倉”と”夢斉工房”の看板を掲げる蕎麦屋。幕末に鳴海宿本陣を務めた造り酒屋”千代倉”の下郷家と何らかの関係がありそう。残念ながら閉店時間のようで店は開いておらず、後日に調べてみたところ、この裏手一帯の大きな屋敷地が千代倉下郷家らしい。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町相原町03
相原町にある旧商家。間口が狭くて奥行きの深い”鰻の寝床”をよく表している。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町相原町02
鳴海町相原町を行く旧東海道。


五平茶屋
相原町の東端付近、”ヘアーサロン クラウン”の隣に五平茶屋なる店が目に留まる。”山ごぼう 味噌漬”と書かれており、漬物店だったのか。現在は営業していないようだ。


瑞泉寺山門
黄檗宗の大本山、萬福寺(京都府宇治市)の総門を模した瑞泉寺山門。瑞泉寺は宇治市の根古屋城(鳴海城)を築いた安原宗範が応永3年(1396年)に創建したと伝わる。当初は瑞松寺と称し、文亀元年(1501年、永正元年の説も)現在地へ移り、後に現寺号へ改めた。解説板には宝暦5年(1755年)下郷弥兵衛の援助で堂宇を完成したとあり、江戸期を通して下郷家が相当な有力者だったことがうかがえる。


瑞泉寺境内より中島橋を望む
瑞泉寺境内より旧東海道の中島橋を望む。扇川を中島橋で渡れば鳴海宿の相原町から中島町(現 名古屋市緑区鳴海町下中)へ。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町下中
旧鳴海宿中島町(現 鳴海町下中)を行く旧東海道。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町平部
鳴海宿江戸方端の平部に入って。まず目に留まったのが”うなぎの魚仙”。旧宿場町に鰻屋はよく似合う。


金剛寺
鳴海町平部の旧東海道沿いにある紫雲山金剛寺。宝暦10年(1760年)瑞泉寺二十世呑舟の開山、本尊は木像行者菩薩像で、当初は行者堂と称す。昭和17年(1942年)本尊行者菩薩の金剛杖から金剛寺に寺号を改めた。


旧東海道 名古屋市緑区鳴海町平部
鳴海宿江戸方入口付近の旧東海道。


平部町常夜灯
鳴海宿江戸方出入口に残る平部町常夜灯。文化3年(1806年)建立。正面に「秋葉大権現」が刻まれており、宿内の火防を祈願して建立したのだろうが、皮肉にもその5年後に本町の旅籠扇屋を火元にし、宿場中心部の大半を焼く大火が発生している。


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1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
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約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
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【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
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約3ヶ月の月日をかけて、
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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8ヶ月の月日をかけて、
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2008年10月13日(月)
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