深名線 多度志・上多度志駅跡
旧深名線の多度志駅跡とその深川方面隣の上多度志駅跡を訪ねた。石狩平野の最北部で深川市の北西部、旭川市から道道98号を西に進み多度志峠を越えた先、深川市からは道道281号を北上し中山峠を越えた先に多度志地区がある。多度志は米やソバをはじめ馬鈴薯(ジャガイモ)の産地、そんな農村地帯を横断するように深名線が通っていた。多度志駅は多度志地区の中心部にあった深名線の駅で、大正13年(1924年)国鉄雨龍線の深川駅~多度志駅間の開通に伴い開業。当初は駅舎を持つ有人駅で、駅舎から線路を挟んで対面には木材のストックヤードがあり、貨物駅としての一面もあった。私が小学生の頃に何度か訪れており、当時蒐集していた入場券を購入した記憶がある。昭和57年(1982年)貨物取扱を廃止、それから2年後に無人化され、平成7年(1995年)深名線と共に廃止された。廃駅後も駅舎やホームは残されていたが、廃駅から3年後には全て解体され現在は空地となっている。
多度志駅から深川側へ約3.2km地点、多度志と旭川を繋ぐ道道98号沿いに上多度志駅があった。この駅は多度志駅の開業から遅れること22年後の昭和21年(1946年)、上多度志仮乗降場として開業。昭和25年(1950年)駅に昇格し、この時有人駅になったと思われる。昭和57年(1982年)無人化され、平成7年(1995年)深名線廃止に伴い多度志駅と共に廃止された。駅から道道98号間の80m程の駅前通り沿いに上多度志の集落を形成。昔の航空写真で変遷を見てみると、上多度志駅が設置された後に家が建ち並んだことがわかる。現在は駅舎やホームが完全に撤去され、駅前通りに並んだ建物も減り、過疎化が進む。駅前通りと道道98号がなす丁字路の突き当りに藤本商店があったが、現在は看板を降ろし旧商店の建物と自販機が残るのみ。駅前広場と農業倉庫だけが上多度志の往時を偲ぶ。

上多度志の道道98号沿いにある旧藤本商店(写真右手前)。近年まで看板を掲げていたが、現在は取り外されているため、コカコーラの自販機が目印。ここを道道から北に入る道がかつての上多度志駅前通り。

旧上多度志駅前通り。道路奥の突き当りに上多度志駅があった。現在は駅舎やホームが撤去され、その跡地は何もない状態。

旧上多度志駅前通りを駅跡から道道方向を望む。旧駅前通りの突き当りが旧藤本商店。往時は道路沿いに建物が並んでいたが、現在は随分と減って人通りも無く過疎化が進む。

上多度志駅跡。かつては写真中央辺りに駅舎があった。その奥に見えるのが多度志町農業倉庫。

上多度志駅跡を正面から望む。冬場は豪雪に埋もれ、ここに駅舎とホームがあったことを想像するに難しい現状。

旧上多度志駅前に残る多度志町農業倉庫。現在もこの倉庫だけは現役なのだろうか。

JR北海道バスの上多度志停留所。深名線に代わり上多度志住民の足としてバスが運行されている。

上多度志停留所。

この辺で上多度志を後に。

上多度志から多度志駅跡へ移動。ここが多度志駅跡なのだが、駅舎やホームは撤去され、雪が積もるのみ。その跡地を示すものは何もない。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7727を基に作成
昭和52年(1977年)9月撮影の多度志駅周辺一帯
多度志駅から斜め2方向に駅前通り(道道429号)が延び、駅舎から線路を挟んで対面には木材のストックヤードが広がる。そのストックヤード内にある線路に沿っての細長い建物は木材の倉庫か。現在は残っていない。

多度志駅跡を北東側駅前通り(道道429号)から望む。記念碑や解説板が設置されていないのは残念、せめて在りし日を偲べるよう少しの配慮がほしい。

多度志駅跡から北西方向に延びる駅前通り(道道429号)。

空知中央バスの多度志バス停が雪に埋もれて立つ。

多度志駅跡から南西方向に延びる駅前通り(道道429号)。

南西側の駅前通り(道道429号)沿いにある鎌倉旅館。

南西側の駅前通り(道道429号)より旧多度志駅方面を望む。旧多度志駅周辺には民家をはじめ鎌倉旅館や農業倉庫、JAきたそらち多度志支所とその関連施設が見られる。

多度志の農業倉庫にて。多度志は米やソバをはじめ馬鈴薯(ジャガイモ)の産地。

JAきたそらち多度志支所。

道道429号と道道98号の合流地点にある宮下商店。

菅原道真を祭神に祀る多度志神社。多度志の中心部、道道98号沿いに鎮座する。明治31年(1898年)京都熊野天満宮より祭神を勧請して創建された。

多度志神社社殿。

多度志神社参道。

道道98号沿いにある多度志郵便局。この辺りが多度志市街の中心部。

国道275号と道道98号・281号が分岐する交差点にあるセイコーマート。私が知る限り旧深名線沿線で唯一つのコンビニである。
撮影日:2015年1月2日(金)
多度志駅から深川側へ約3.2km地点、多度志と旭川を繋ぐ道道98号沿いに上多度志駅があった。この駅は多度志駅の開業から遅れること22年後の昭和21年(1946年)、上多度志仮乗降場として開業。昭和25年(1950年)駅に昇格し、この時有人駅になったと思われる。昭和57年(1982年)無人化され、平成7年(1995年)深名線廃止に伴い多度志駅と共に廃止された。駅から道道98号間の80m程の駅前通り沿いに上多度志の集落を形成。昔の航空写真で変遷を見てみると、上多度志駅が設置された後に家が建ち並んだことがわかる。現在は駅舎やホームが完全に撤去され、駅前通りに並んだ建物も減り、過疎化が進む。駅前通りと道道98号がなす丁字路の突き当りに藤本商店があったが、現在は看板を降ろし旧商店の建物と自販機が残るのみ。駅前広場と農業倉庫だけが上多度志の往時を偲ぶ。

上多度志の道道98号沿いにある旧藤本商店(写真右手前)。近年まで看板を掲げていたが、現在は取り外されているため、コカコーラの自販機が目印。ここを道道から北に入る道がかつての上多度志駅前通り。

旧上多度志駅前通り。道路奥の突き当りに上多度志駅があった。現在は駅舎やホームが撤去され、その跡地は何もない状態。

旧上多度志駅前通りを駅跡から道道方向を望む。旧駅前通りの突き当りが旧藤本商店。往時は道路沿いに建物が並んでいたが、現在は随分と減って人通りも無く過疎化が進む。

上多度志駅跡。かつては写真中央辺りに駅舎があった。その奥に見えるのが多度志町農業倉庫。

上多度志駅跡を正面から望む。冬場は豪雪に埋もれ、ここに駅舎とホームがあったことを想像するに難しい現状。

旧上多度志駅前に残る多度志町農業倉庫。現在もこの倉庫だけは現役なのだろうか。

JR北海道バスの上多度志停留所。深名線に代わり上多度志住民の足としてバスが運行されている。

上多度志停留所。

この辺で上多度志を後に。

上多度志から多度志駅跡へ移動。ここが多度志駅跡なのだが、駅舎やホームは撤去され、雪が積もるのみ。その跡地を示すものは何もない。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7727を基に作成
昭和52年(1977年)9月撮影の多度志駅周辺一帯
多度志駅から斜め2方向に駅前通り(道道429号)が延び、駅舎から線路を挟んで対面には木材のストックヤードが広がる。そのストックヤード内にある線路に沿っての細長い建物は木材の倉庫か。現在は残っていない。

多度志駅跡を北東側駅前通り(道道429号)から望む。記念碑や解説板が設置されていないのは残念、せめて在りし日を偲べるよう少しの配慮がほしい。

多度志駅跡から北西方向に延びる駅前通り(道道429号)。

空知中央バスの多度志バス停が雪に埋もれて立つ。

多度志駅跡から南西方向に延びる駅前通り(道道429号)。

南西側の駅前通り(道道429号)沿いにある鎌倉旅館。

南西側の駅前通り(道道429号)より旧多度志駅方面を望む。旧多度志駅周辺には民家をはじめ鎌倉旅館や農業倉庫、JAきたそらち多度志支所とその関連施設が見られる。

多度志の農業倉庫にて。多度志は米やソバをはじめ馬鈴薯(ジャガイモ)の産地。

JAきたそらち多度志支所。

道道429号と道道98号の合流地点にある宮下商店。

菅原道真を祭神に祀る多度志神社。多度志の中心部、道道98号沿いに鎮座する。明治31年(1898年)京都熊野天満宮より祭神を勧請して創建された。

多度志神社社殿。

多度志神社参道。

道道98号沿いにある多度志郵便局。この辺りが多度志市街の中心部。

国道275号と道道98号・281号が分岐する交差点にあるセイコーマート。私が知る限り旧深名線沿線で唯一つのコンビニである。
撮影日:2015年1月2日(金)

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