八丁味噌
池鯉鮒宿から岡崎城下へ辿り着き夜桜見物を楽しんだ翌日、じっくりと岡崎城址と城下を巡ることに。この日は”岡崎の桜まつり”の最大のイベント、家康行列が催行される。しかしながら雨雲が垂れ込めるあいにくの空模様、雨天中止なんてことにならないことを心配しつつ、宿泊先のスーパーホテル岡崎を出発し、乙川堤の桜並木を花見しながら、岡崎城下京方(西側)外れの矢作橋まで移動。ここから城下の旧東海道を辿りながら途中で家康行列を見つつ、岡崎城下江戸方(東側)端の旧投町(なぐりまち、現 岡崎市若宮町)まで散策する予定を立て、最後に岡崎城天守閣へ登城することに。
岡崎城下の旧東海道は”二十七曲り”と呼ばれ、京方から来れば八町村(現 八帖町)の矢作橋東詰にある鉤の手を最初に、城下江戸方(東側)端の欠町へ至る約4.5kmの道程に27ヶ所もの曲りが設けられていた。敵の侵入を容易にさせない防衛上の理由からとされる。その東海道二十七曲りの京方(西側)入口にあたる八町村は、岡崎城から西へ8町(約870m)の位置にあることが地名の由来。江戸時代には東海道沿いに町家が並んで町場を形成、太田家・早川家が江戸初期より八丁味噌の製造をはじめ、江戸中期以降には生産量を増大させて江戸等へ販路を拡大、全国にその名を知らしめた。現在は名古屋名物”味噌カツ”に欠かせない八丁味噌の発祥地として、”まるや”と”カクキュー”の2軒が今も江戸時代からの伝統製法を守り、味噌の製造を続けている。

乙川堤の桜並木を見ながら矢作橋へ向かおう。

雨粒が跳ねる水面をカモがスイスイと。

乙川堤の桜並木。桜まつりが始まったばかりなのに、今日の雨は花落としの雨となりそう。

岡崎公園南側辺りの乙川河川敷。

河川敷には多くの露店が並び、これから訪れる花見客を待つ。

岡崎城天守閣。

矢作橋より矢作川下流方向を望む。江戸時代に架けられていた矢作(矢矧)橋は東海道一の長橋、現在の矢作橋より少し下流側に架けられていた。日吉丸(豊臣秀吉の幼名)と蜂須賀小六が出会った場所として知られるが、矢作橋の架橋は慶長6年(1601年)とされ、秀吉と小六が出会った頃には橋が無かったとも…。歌川広重は「東海道五十三次之内岡崎 矢矧之橋」の題を付け、大名行列が矢作橋を渡り岡崎城下へ向かう様子を浮世絵に描く。

東海道五十三次之内岡崎 矢矧之橋
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「岡崎宿」より引用

広重はこの辺りからの風景を描いたのだろう。現在は旧道架橋地点に橋が無いため同じ構図にならず、悪天候のためか背景に描く山も確認できない。対岸に岡崎城の天守が何とか見えているのが救い。

岡崎城天守をズーム撮影。左右に高い建物があり目立たないが、ここから天守が見えるのは素晴らしい。浮世絵の景観を保つため、建造物の高さを制限しているのだろうか。

旧矢作(矢矧)橋の架橋地点が特定できないが、この辺りが旧橋の東詰と思われる。

矢作川左岸に残る八帖町の旧東海道。

京方(西側)から歩いてきて、旧矢作(矢矧)橋跡東詰の屈曲を一つ目とすると、ここは2つ目の曲り。その曲り角には「右 西京」「左 江戸」と刻む真新しい道標が設置される。

八丁味噌の郷を行く旧東海道。

旧東海道からカクキュー裏手を北へ延びる八丁蔵通り。

八丁蔵通り入口にある宮﨑あおいさんの手形。ここ八丁蔵通りや味噌蔵等はNHK連続テレビ小説「純情きらり」のロケ地で、各所に出演者の手形が設置されている。

八丁蔵通り。

八丁蔵通り沿いにある真宗大谷派、光圓寺。

八丁蔵通りと光圓寺の桜。ドラマに使われたことが頷けるロケーション。

せっかくここまで来たので、八丁味噌製造元の一軒、”まるや八丁味噌”の工場を見学しよう。工場見学時間まで受付の建物内で待機、他に見学者が現れず、説明員の方に同行するのは私一人だけ。申し訳なく思いつつも、じっくりと味噌蔵を見学できてよかった。

まるやの味噌蔵。八丁味噌は蒸した大豆に麹カビをつけ、塩と水を加えて木桶に仕込む。木桶の蓋に重石を積み上げ、ニ夏二冬(約2年)もの熟成期間をおいて八丁味噌ができる。

味噌桶の蓋上に積まれる重石は、石積み職人の手により積み上げられている。

日吉丸石投の井戸。日吉丸とは豊臣秀吉の幼名。少年時代の秀吉が味噌の匂いに誘われてここに忍び込み、職人らに見つかってこの井戸に石を投じ、あたかも井戸に落ちたかのように見せかけ逃げたという。

まるやの北蔵は最も古く、江戸時代の建築。

まるやは幕府御用達の味噌醸造元で、北蔵の屋根瓦には三つ葉葵紋が見られる。

北蔵は「純情きらり」のロケ地。ドラマ撮影時の写真が壁に掲げられている。

まるや北蔵の内部。昔は味噌桶を竹の箍(たが)で締めていたが、現在は竹の箍を作る職人がいなくなり、代わりにワイヤーを巻いているのだという。北蔵の味噌桶には竹の箍が巻かれているようにみえるが、実は「純情きらり」の撮影時にNHKスタッフがワイヤーに被せた偽物とのこと。

工場内の売店で限定生産の”三河産大豆と神水仕込みの八丁味噌”と、江戸時代に家康も食していたという粒が残ったままの八丁味噌を購入して工場を後に。たまに異業種の工場見学をしてみるのも色々と興味がそそられ楽しいものだ。詳しくは”まるや八丁味噌”のホームページで↓
まるや八丁味噌
http://www.8miso.co.jp/index.html

愛知環状鉄道線の高架橋下、旧東海道早川橋から京方を望む。左に行けば”まるや八丁味噌”、右が”カクキュー”。まるやの次はカクキューへ。

八丁味噌のもう1軒、カクキュー。こちらは代々当主が早川久右衞門を名のる八丁味噌の製造元で、江戸時代初期の創業。宮内庁御用達。

カクキューの工場内。明治40年建築の味噌蔵を改築し、史料館として一般公開している。時間の都合上、今回はこちらの工場見学ができなかったが、併設する売店で手に入れたかった”家康ラーメン”を購入。

国道1号よりカクキュー工場内を撮影。味噌桶に積まれるのだろう重石が。今年の仕込みに使われるのだろうか。岡崎近郊に訪れた際には是非とも八丁味噌の工場を見学してほしい。普段何気なしに食している味噌が、どれだけの手間ひまをかけて作られているのか実感できるだろう。
カクキュー
http://www.kakukyu.jp/
岡崎城下の旧東海道は”二十七曲り”と呼ばれ、京方から来れば八町村(現 八帖町)の矢作橋東詰にある鉤の手を最初に、城下江戸方(東側)端の欠町へ至る約4.5kmの道程に27ヶ所もの曲りが設けられていた。敵の侵入を容易にさせない防衛上の理由からとされる。その東海道二十七曲りの京方(西側)入口にあたる八町村は、岡崎城から西へ8町(約870m)の位置にあることが地名の由来。江戸時代には東海道沿いに町家が並んで町場を形成、太田家・早川家が江戸初期より八丁味噌の製造をはじめ、江戸中期以降には生産量を増大させて江戸等へ販路を拡大、全国にその名を知らしめた。現在は名古屋名物”味噌カツ”に欠かせない八丁味噌の発祥地として、”まるや”と”カクキュー”の2軒が今も江戸時代からの伝統製法を守り、味噌の製造を続けている。

乙川堤の桜並木を見ながら矢作橋へ向かおう。

雨粒が跳ねる水面をカモがスイスイと。

乙川堤の桜並木。桜まつりが始まったばかりなのに、今日の雨は花落としの雨となりそう。

岡崎公園南側辺りの乙川河川敷。

河川敷には多くの露店が並び、これから訪れる花見客を待つ。

岡崎城天守閣。

矢作橋より矢作川下流方向を望む。江戸時代に架けられていた矢作(矢矧)橋は東海道一の長橋、現在の矢作橋より少し下流側に架けられていた。日吉丸(豊臣秀吉の幼名)と蜂須賀小六が出会った場所として知られるが、矢作橋の架橋は慶長6年(1601年)とされ、秀吉と小六が出会った頃には橋が無かったとも…。歌川広重は「東海道五十三次之内岡崎 矢矧之橋」の題を付け、大名行列が矢作橋を渡り岡崎城下へ向かう様子を浮世絵に描く。

東海道五十三次之内岡崎 矢矧之橋
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「岡崎宿」より引用

広重はこの辺りからの風景を描いたのだろう。現在は旧道架橋地点に橋が無いため同じ構図にならず、悪天候のためか背景に描く山も確認できない。対岸に岡崎城の天守が何とか見えているのが救い。

岡崎城天守をズーム撮影。左右に高い建物があり目立たないが、ここから天守が見えるのは素晴らしい。浮世絵の景観を保つため、建造物の高さを制限しているのだろうか。

旧矢作(矢矧)橋の架橋地点が特定できないが、この辺りが旧橋の東詰と思われる。

矢作川左岸に残る八帖町の旧東海道。

京方(西側)から歩いてきて、旧矢作(矢矧)橋跡東詰の屈曲を一つ目とすると、ここは2つ目の曲り。その曲り角には「右 西京」「左 江戸」と刻む真新しい道標が設置される。

八丁味噌の郷を行く旧東海道。

旧東海道からカクキュー裏手を北へ延びる八丁蔵通り。

八丁蔵通り入口にある宮﨑あおいさんの手形。ここ八丁蔵通りや味噌蔵等はNHK連続テレビ小説「純情きらり」のロケ地で、各所に出演者の手形が設置されている。

八丁蔵通り。

八丁蔵通り沿いにある真宗大谷派、光圓寺。

八丁蔵通りと光圓寺の桜。ドラマに使われたことが頷けるロケーション。

せっかくここまで来たので、八丁味噌製造元の一軒、”まるや八丁味噌”の工場を見学しよう。工場見学時間まで受付の建物内で待機、他に見学者が現れず、説明員の方に同行するのは私一人だけ。申し訳なく思いつつも、じっくりと味噌蔵を見学できてよかった。

まるやの味噌蔵。八丁味噌は蒸した大豆に麹カビをつけ、塩と水を加えて木桶に仕込む。木桶の蓋に重石を積み上げ、ニ夏二冬(約2年)もの熟成期間をおいて八丁味噌ができる。

味噌桶の蓋上に積まれる重石は、石積み職人の手により積み上げられている。

日吉丸石投の井戸。日吉丸とは豊臣秀吉の幼名。少年時代の秀吉が味噌の匂いに誘われてここに忍び込み、職人らに見つかってこの井戸に石を投じ、あたかも井戸に落ちたかのように見せかけ逃げたという。

まるやの北蔵は最も古く、江戸時代の建築。

まるやは幕府御用達の味噌醸造元で、北蔵の屋根瓦には三つ葉葵紋が見られる。

北蔵は「純情きらり」のロケ地。ドラマ撮影時の写真が壁に掲げられている。

まるや北蔵の内部。昔は味噌桶を竹の箍(たが)で締めていたが、現在は竹の箍を作る職人がいなくなり、代わりにワイヤーを巻いているのだという。北蔵の味噌桶には竹の箍が巻かれているようにみえるが、実は「純情きらり」の撮影時にNHKスタッフがワイヤーに被せた偽物とのこと。

工場内の売店で限定生産の”三河産大豆と神水仕込みの八丁味噌”と、江戸時代に家康も食していたという粒が残ったままの八丁味噌を購入して工場を後に。たまに異業種の工場見学をしてみるのも色々と興味がそそられ楽しいものだ。詳しくは”まるや八丁味噌”のホームページで↓
まるや八丁味噌
http://www.8miso.co.jp/index.html

愛知環状鉄道線の高架橋下、旧東海道早川橋から京方を望む。左に行けば”まるや八丁味噌”、右が”カクキュー”。まるやの次はカクキューへ。

八丁味噌のもう1軒、カクキュー。こちらは代々当主が早川久右衞門を名のる八丁味噌の製造元で、江戸時代初期の創業。宮内庁御用達。

カクキューの工場内。明治40年建築の味噌蔵を改築し、史料館として一般公開している。時間の都合上、今回はこちらの工場見学ができなかったが、併設する売店で手に入れたかった”家康ラーメン”を購入。

国道1号よりカクキュー工場内を撮影。味噌桶に積まれるのだろう重石が。今年の仕込みに使われるのだろうか。岡崎近郊に訪れた際には是非とも八丁味噌の工場を見学してほしい。普段何気なしに食している味噌が、どれだけの手間ひまをかけて作られているのか実感できるだろう。
カクキュー
http://www.kakukyu.jp/

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