旧商家丸一本間家
増毛駅近くに旧商家の佇まいを残す丸一本間家。創業は明治8年(1875年)、佐渡出身の本間泰蔵を初代とする。当初は荒物雑貨を商っていたが、 ニシン景気に乗じて事業を拡大、呉服商をはじめニシン漁網元や海運、酒造等、事業を展開して天塩国随一の豪商と呼ばれるまでに。事業拡大に伴い建屋を増築し、明治35年(1902年)丸一本間合名会社を創立、酒造場を稲葉町1丁目へ移転した。これが國稀酒造の前身で、現在も商いを続けるのはここだけである。丸一本間合名会社の店舗・呉服蔵・居宅・付属屋・醸造蔵が今に残り、往時の繁栄ぶりを偲ぶ。平成12年北海道有形文化財、平成15年国の重要文化財に指定され、内部を一般公開している。

増毛駅近く、増毛市街に残る旧商家丸一本間家。

石組みの呉服店舗が惚れぼれする佇まい。

呉服店舗の内部は往時の様子を再現、明治時代にタイムスリップしたかのようだ。

呉服を求めて客が今にも来店しそう。

呉服店舗2階。現在は展示室兼休憩所として使われている。

本間家の経理関係が処理された奥帳場。天井には明り取りのための窓を設ける。

旧商家丸一本間家茶の間。襖の絵は昭和初期の日本画家、仙田菱畝(せんだりょうほ)によるもの。菱畝は新潟県東頸城郡小黒村(現 新潟県上越市安塚区小黒)の出身、兄は日本画家の石塚仙堂。

家人が食事などをする場所として使用された上勝手。

上勝手に隣接する勝手。今で言う台所である。

旧商家丸一本間家次の間。天井から下がる電灯は大正6年(1917年)頃のもの。室内の桐製箪笥は明治35年(1903年)頃製作、新潟県の箪笥職人によるもの。

旧商家丸一本間家客間。襖の漢詩は明治期の書人、巌谷一六(いわやいちろく)が増毛を訪れた際に揮毫したものという。

旧商家丸一本間家仏間。初代本間泰蔵とその妻チエ、長男泰輔とその妻キミの遺影を掲げる。

旧商家丸一本間家奥の間。客間と同様、巌谷一六揮毫による漢詩の襖で仕切られる。初代本間泰蔵の隠居部屋として使用された。

旧商家丸一本間家呉服蔵。現在は展示室に利用され、本間家に関する品々を展示する。

旧商家丸一本間家醸造蔵。明治27年(1894年)頃建築、元は酒造蔵で後に味噌の醸造も行われていた。

旧商家丸一本間家付属家2階。醸造蔵と同じく明治27年(1894年)頃の建築、基本的に本間家の居住部屋だったが、補助的な客室として使われた時代もあった。

旧商家丸一本間家付属家3階。主に客室として利用、巌谷一六が来町の折にはこの部屋を使用したと伝わる。

本間家に残るステンドグラス。大正時代に風呂場で使われていたと云う。

朱文別の畜産家佐藤酉三郎が所有していた牝馬、若姫号の馬具。昭和28年(1953年)増毛町家畜品評会の繁殖牝馬の部で3等賞を受賞した。

旧商家丸一本間家通り庭。

通り庭に面して設ける電話室。壁面はメモ書きに使わていたようで、当時のままに残る。

丸一本間家の酒造場を前身とする国稀酒造。
国稀酒造株式会社
https://www.kunimare.co.jp/

国稀酒造酒蔵。貯蔵タンクが並ぶ。

製品庫として使わていた石蔵は資料室に。昔のラベルを貼った一升瓶が並び、往時を彷彿とさせる。

国稀酒造から南へ約300m、増毛町総合交流促進施設「元陣屋」がある。ここは安政3年(1856年)蝦夷地警護を命ぜられた久保田藩(秋田藩とも)が増毛陣屋を置いた場所で、総建坪1160坪、平屋建て28棟からなる陣屋であった。慶応3年(1867年)増毛から久保田藩が引き揚げて函館奉行の直轄となり、明治維新後から廃藩置県までの僅かな期間だが山口藩増毛出張所の役人住居として利用された。明治30年頃まで陣屋の建物が残っていたという。

元陣屋に設ける郷土資料室では入館料さえ払えば本格的な甲冑を試着できる。

増毛港にて。
撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)

増毛駅近く、増毛市街に残る旧商家丸一本間家。

石組みの呉服店舗が惚れぼれする佇まい。

呉服店舗の内部は往時の様子を再現、明治時代にタイムスリップしたかのようだ。

呉服を求めて客が今にも来店しそう。

呉服店舗2階。現在は展示室兼休憩所として使われている。

本間家の経理関係が処理された奥帳場。天井には明り取りのための窓を設ける。

旧商家丸一本間家茶の間。襖の絵は昭和初期の日本画家、仙田菱畝(せんだりょうほ)によるもの。菱畝は新潟県東頸城郡小黒村(現 新潟県上越市安塚区小黒)の出身、兄は日本画家の石塚仙堂。

家人が食事などをする場所として使用された上勝手。

上勝手に隣接する勝手。今で言う台所である。

旧商家丸一本間家次の間。天井から下がる電灯は大正6年(1917年)頃のもの。室内の桐製箪笥は明治35年(1903年)頃製作、新潟県の箪笥職人によるもの。

旧商家丸一本間家客間。襖の漢詩は明治期の書人、巌谷一六(いわやいちろく)が増毛を訪れた際に揮毫したものという。

旧商家丸一本間家仏間。初代本間泰蔵とその妻チエ、長男泰輔とその妻キミの遺影を掲げる。

旧商家丸一本間家奥の間。客間と同様、巌谷一六揮毫による漢詩の襖で仕切られる。初代本間泰蔵の隠居部屋として使用された。

旧商家丸一本間家呉服蔵。現在は展示室に利用され、本間家に関する品々を展示する。

旧商家丸一本間家醸造蔵。明治27年(1894年)頃建築、元は酒造蔵で後に味噌の醸造も行われていた。

旧商家丸一本間家付属家2階。醸造蔵と同じく明治27年(1894年)頃の建築、基本的に本間家の居住部屋だったが、補助的な客室として使われた時代もあった。

旧商家丸一本間家付属家3階。主に客室として利用、巌谷一六が来町の折にはこの部屋を使用したと伝わる。

本間家に残るステンドグラス。大正時代に風呂場で使われていたと云う。

朱文別の畜産家佐藤酉三郎が所有していた牝馬、若姫号の馬具。昭和28年(1953年)増毛町家畜品評会の繁殖牝馬の部で3等賞を受賞した。

旧商家丸一本間家通り庭。

通り庭に面して設ける電話室。壁面はメモ書きに使わていたようで、当時のままに残る。

丸一本間家の酒造場を前身とする国稀酒造。
国稀酒造株式会社
https://www.kunimare.co.jp/

国稀酒造酒蔵。貯蔵タンクが並ぶ。

製品庫として使わていた石蔵は資料室に。昔のラベルを貼った一升瓶が並び、往時を彷彿とさせる。

国稀酒造から南へ約300m、増毛町総合交流促進施設「元陣屋」がある。ここは安政3年(1856年)蝦夷地警護を命ぜられた久保田藩(秋田藩とも)が増毛陣屋を置いた場所で、総建坪1160坪、平屋建て28棟からなる陣屋であった。慶応3年(1867年)増毛から久保田藩が引き揚げて函館奉行の直轄となり、明治維新後から廃藩置県までの僅かな期間だが山口藩増毛出張所の役人住居として利用された。明治30年頃まで陣屋の建物が残っていたという。

元陣屋に設ける郷土資料室では入館料さえ払えば本格的な甲冑を試着できる。

増毛港にて。
撮影日:2015年10月24日(土)、25日(日)

スポンサーサイト