厳冬の留萌本線を訪ねて(留萌駅~石狩沼田駅)
留萌本線を留萌駅から深川方面へ一駅ずつ訪ねてみることに。留萌本線は起点の深川駅から増毛駅まで総延長66.8km、留萌駅までは50.1kmの鉄道路線で、深川市・秩父別町・沼田町・留萌市に跨り鉄路を延ばす。2016年度中に廃止が予定されている留萌駅~増毛駅間もさることながら、留萌駅~深川駅間の留萌本線も大幅な赤字路線。そう遠くない将来に廃止されてしまう可能性が高い。途中の恵比島駅はNHK連続テレビ小説「すずらん」(1999年放送)の舞台となり、ドラマのセットで作られた明日萌駅や駅長宅、駅前には中村旅館がドラマの世界観を残し、その隣駅である峠下駅はその名が示す通り恵比島峠の麓にあり、駅周辺に民家が見当たらない秘境駅。無くすには惜しい、今のうちにこの目と写真に焼き付けておこう。

留萌駅から深川方面へ1駅目、大和田駅。留萌本線の駅舎に数多くある貨車駅舎。開業は明治43年(1910年)、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。それから数年後には木造駅舎が解体され現在の貨車駅舎となった。

大和田駅駅舎内。ベンチ上には留萌本線の各駅に見られる旅ノートを置く。

大和田駅構内。現在は単式ホームのみだが、かつては写真ホーム右側にも線路がある島式ホームだった。

雪煙をあげて疾走(大和田駅~藤山駅)。

留萌駅から深川方面へ2駅目、藤山駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。駅舎は事務室部分が解体され待合室部分だけを残す。縮小しながらも木造駅舎を残す理由は、きっと地元住民の願いと努力があってのことだろう。駅前には藤山開拓之碑があり、未開の地を開拓し藤山を切り開いた先人たちを讃える。

藤山駅駅舎内。待合室は暖房設備も無く風雨を凌げる程度。

藤山駅構内。単式ホームを有するだけだが、かつては相対式ホーム2面2線で、写真右手奥にもホームがあった。

留萌駅から深川方面へ3駅目、幌糠駅。大和田駅と見間違うほどにそっくりな貨車駅舎。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅となり、それから数年後には現在の姿に。

幌糠駅駅構内。地元の方が除雪し列車の到来に備える。

幌糠駅駅舎内。

幌糠駅の旅ノートは盗難にあったもよう。数枚の紙切れにここを訪れた旅人の思いが綴られる。しかし旅ノートを盗んで何に使うというのか…。

これといって特筆すべきこともない幌糠駅前。

幌糠市街。降りしきる雪の中を。

幌糠駅~峠下駅の間、留萌川に架かる第3留萌川橋梁。

留萌駅から深川方面へ4駅目、峠下駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅になったが、有人駅時代の駅舎がそのまま残り往時を偲ぶ。事務室は除雪等の保線要員が使う詰所となっており、駅前には通勤用の車が数台停まる。

峠下駅駅舎内。この駅は周辺に民家が存在しない秘境駅、乗降客はほとんどいないのだろう。待合室は除雪機の置場に。

峠下駅は深川駅と留萌駅の中間に位置し、駅舎と共に複線化された構内を残す。深川駅~留萌駅間において列車交換が可能な唯一の駅である。

恵比島峠越えを控える峠下駅。

峠下駅構内より留萌方面。除雪を終えた保線要員が駅に戻ってくる。

留萌駅から深川方面へ5駅目、恵比島駅。実は写真右端の建物が駅舎で、中央はNHK朝ドラ「すずらん」のセットとして作られた明日萌駅。

連ドラに使われた中村旅館が残る恵比島駅前。元々の中村旅館は旧黒瀬旅館の建物。私が今から20年近く前の中学か高校時代に訪れ時は、ここで乗車券の委託販売をしていたような記憶がある。連ドラ放送当時は右隣に米穀店や呉服店、居酒屋、日用雑貨店のロケセットが並んでいた。

主人公の萌は赤ん坊の時に明日萌駅で母から捨てられ、駅長の常盤次郎に拾われた。
北海道沼田町 公式ホームページ『明日萌(あしもい)の里』
http://www.town.numata.hokkaido.jp/section/nougyou/ujj7s30000001lu0.html

明日萌駅駅舎内。昭和初期のローカル駅を再現している。冬期は中に入れないようだ。

窓越しに外を見つめる萌。

明日萌駅(恵比島駅)構内。ここにSLが走り込んできたら気持ちは昭和初期にタイムスリップできるだろうに。
因みに朝ドラ放映終了後の平成11年(1999年)留萌本線でSLすずらん号が運行を開始、近年までタイムスリップを体感できたのだが、ブームが過ぎ去り平成18年(2006年)9月の運行をもって終了となった。復活を願う。

こちらが現実の恵比島駅駅舎内。外側を板張りされて気付きにくいが、実は貨車駅舎。恵比島駅は明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。

留萌駅から深川方面へ6駅目、真布駅。昭和31年(1956年)仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)駅に昇格。簡易な単式ホーム上に待合所を設ける。

真布駅待合所内。やはりベンチ上には旅ノートが。

駅周辺に民家は疎ら。雪明りに佇む駅、暖色の灯りが照らされる姿形が北国への旅情を誘う。

1両編成の増毛行が乗降客のいない真布駅を後に。

留萌駅から深川方面へ7駅目、石狩沼田駅。明治43年(1910年)沼田駅として開業、大正13年(1924年)現駅名に改称する。昭和6年(1931年)札沼線が全通し、留萌本線と札沼線の接続駅に。昭和47年(1972年)石狩沼田駅~新十津川駅間が廃止となり、昭和59年(1984年)窓口業務が簡易委託化された。

行く人も待つ人もいない石狩沼田駅駅舎内。

石狩沼田駅の切符販売窓口。深川駅から依頼された沼田町の嘱託職員が切符類を販売。現状維持のため利用実績を確保したいので、沼田駅で切符を購入してほしいとのお願いが掲示されていた。私も一助になりたく、次の機会にここから留萌本線に乗車してみたい。

石狩沼田駅構内。現在は駅舎隣接の単式ホームに列車が停車するのみ、向かいに使われなくなった島式ホームが残存している。かつてはホーム深川側に跨線橋が設けられていた。

石狩沼田駅に16:59深川行が到着、乗客1人を乗せ間もなく発車する。

行き交う人もいない駅前通り。

日没を迎えて本日の留萌本線各駅巡りは終わり。”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”で冷え切った体を温めて帰ろう。
撮影日:2016年1月4日(月)

留萌駅から深川方面へ1駅目、大和田駅。留萌本線の駅舎に数多くある貨車駅舎。開業は明治43年(1910年)、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。それから数年後には木造駅舎が解体され現在の貨車駅舎となった。

大和田駅駅舎内。ベンチ上には留萌本線の各駅に見られる旅ノートを置く。

大和田駅構内。現在は単式ホームのみだが、かつては写真ホーム右側にも線路がある島式ホームだった。

雪煙をあげて疾走(大和田駅~藤山駅)。

留萌駅から深川方面へ2駅目、藤山駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。駅舎は事務室部分が解体され待合室部分だけを残す。縮小しながらも木造駅舎を残す理由は、きっと地元住民の願いと努力があってのことだろう。駅前には藤山開拓之碑があり、未開の地を開拓し藤山を切り開いた先人たちを讃える。

藤山駅駅舎内。待合室は暖房設備も無く風雨を凌げる程度。

藤山駅構内。単式ホームを有するだけだが、かつては相対式ホーム2面2線で、写真右手奥にもホームがあった。

留萌駅から深川方面へ3駅目、幌糠駅。大和田駅と見間違うほどにそっくりな貨車駅舎。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅となり、それから数年後には現在の姿に。

幌糠駅駅構内。地元の方が除雪し列車の到来に備える。

幌糠駅駅舎内。

幌糠駅の旅ノートは盗難にあったもよう。数枚の紙切れにここを訪れた旅人の思いが綴られる。しかし旅ノートを盗んで何に使うというのか…。

これといって特筆すべきこともない幌糠駅前。

幌糠市街。降りしきる雪の中を。

幌糠駅~峠下駅の間、留萌川に架かる第3留萌川橋梁。

留萌駅から深川方面へ4駅目、峠下駅。明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅になったが、有人駅時代の駅舎がそのまま残り往時を偲ぶ。事務室は除雪等の保線要員が使う詰所となっており、駅前には通勤用の車が数台停まる。

峠下駅駅舎内。この駅は周辺に民家が存在しない秘境駅、乗降客はほとんどいないのだろう。待合室は除雪機の置場に。

峠下駅は深川駅と留萌駅の中間に位置し、駅舎と共に複線化された構内を残す。深川駅~留萌駅間において列車交換が可能な唯一の駅である。

恵比島峠越えを控える峠下駅。

峠下駅構内より留萌方面。除雪を終えた保線要員が駅に戻ってくる。

留萌駅から深川方面へ5駅目、恵比島駅。実は写真右端の建物が駅舎で、中央はNHK朝ドラ「すずらん」のセットとして作られた明日萌駅。

連ドラに使われた中村旅館が残る恵比島駅前。元々の中村旅館は旧黒瀬旅館の建物。私が今から20年近く前の中学か高校時代に訪れ時は、ここで乗車券の委託販売をしていたような記憶がある。連ドラ放送当時は右隣に米穀店や呉服店、居酒屋、日用雑貨店のロケセットが並んでいた。

主人公の萌は赤ん坊の時に明日萌駅で母から捨てられ、駅長の常盤次郎に拾われた。
北海道沼田町 公式ホームページ『明日萌(あしもい)の里』
http://www.town.numata.hokkaido.jp/section/nougyou/ujj7s30000001lu0.html

明日萌駅駅舎内。昭和初期のローカル駅を再現している。冬期は中に入れないようだ。

窓越しに外を見つめる萌。

明日萌駅(恵比島駅)構内。ここにSLが走り込んできたら気持ちは昭和初期にタイムスリップできるだろうに。
因みに朝ドラ放映終了後の平成11年(1999年)留萌本線でSLすずらん号が運行を開始、近年までタイムスリップを体感できたのだが、ブームが過ぎ去り平成18年(2006年)9月の運行をもって終了となった。復活を願う。

こちらが現実の恵比島駅駅舎内。外側を板張りされて気付きにくいが、実は貨車駅舎。恵比島駅は明治43年(1910年)開業、当初は有人駅だったが昭和59年(1984年)無人駅に。

留萌駅から深川方面へ6駅目、真布駅。昭和31年(1956年)仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)駅に昇格。簡易な単式ホーム上に待合所を設ける。

真布駅待合所内。やはりベンチ上には旅ノートが。

駅周辺に民家は疎ら。雪明りに佇む駅、暖色の灯りが照らされる姿形が北国への旅情を誘う。

1両編成の増毛行が乗降客のいない真布駅を後に。

留萌駅から深川方面へ7駅目、石狩沼田駅。明治43年(1910年)沼田駅として開業、大正13年(1924年)現駅名に改称する。昭和6年(1931年)札沼線が全通し、留萌本線と札沼線の接続駅に。昭和47年(1972年)石狩沼田駅~新十津川駅間が廃止となり、昭和59年(1984年)窓口業務が簡易委託化された。

行く人も待つ人もいない石狩沼田駅駅舎内。

石狩沼田駅の切符販売窓口。深川駅から依頼された沼田町の嘱託職員が切符類を販売。現状維持のため利用実績を確保したいので、沼田駅で切符を購入してほしいとのお願いが掲示されていた。私も一助になりたく、次の機会にここから留萌本線に乗車してみたい。

石狩沼田駅構内。現在は駅舎隣接の単式ホームに列車が停車するのみ、向かいに使われなくなった島式ホームが残存している。かつてはホーム深川側に跨線橋が設けられていた。

石狩沼田駅に16:59深川行が到着、乗客1人を乗せ間もなく発車する。

行き交う人もいない駅前通り。

日没を迎えて本日の留萌本線各駅巡りは終わり。”秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ”で冷え切った体を温めて帰ろう。
撮影日:2016年1月4日(月)

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