舞坂宿と今切の渡し

【旧東海道歩き 第18日目】弁天島駅→舞阪宿→浜松宿→浜松城址→浜松駅



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東海道五十三次之内舞坂 今切真景
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「舞坂宿」より引用


【2016年4月3日(日)旧東海道 舞坂宿】
舞坂宿は浜名湖東岸に位置する小さな宿場町、浜名湖を横断する今切の渡しの渡船場を設けていた。舞坂は「遠江国舞沢」の表記で吾妻鏡に初見されるという鎌倉期には存在した地名。元は浜名川東岸の砂洲上に街村を形成していたが、明応7年(1498年)に起きた明応地震の津波により水没、難を逃れた36戸が現在の舞阪町仲町辺りに移住して町を再興したと伝わる。慶長6年(1601)から東海道五十三次の整備がはじまり舞坂宿が成立、宿場西外れ東海道筋の坪井村と馬郡村を加宿とした。江戸日本橋から東海道五十三次を30宿目、京都三条大橋から24宿目に位置、天保14年(1843年)当時の宿内町並み東西6町(約655m)余り、人口と家数は加宿を含めて2475人に541軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋28軒。西から砂町・西町・仲町・新町と続く町並み。名物は鰻と蛤、魚料理等。

江戸方から東海道を来ればここで渡し船に乗って浜名湖を渡り、新居関所で関所役人の吟味を受けることになる。この今切の渡しには今切口から遠州灘の荒波が頻繁に打ち寄せ、渡し船の航行を妨害したため、舞坂側航路に数万本の波除け杭が打ち込まれた。この杭に砂が堆積して砂洲を形成、今に見る弁天島ができる起因になったとも。広重の浮世絵「東海道五十三次之内舞坂 今切真景」に波除け杭を見ることができる。東海道名所記(万治年間刊行)には今切の渡しを次のように書く。
「舞坂より舟にのるに、七つ時分よりまへには渡しあり、七つ時分過ればふねをいださずといふ、はやくのり給へとて、男と共にいそぎふねにとびのる、艫のかたひろくて、ゆるりとのりけり、船頭は舟に棹さし、櫓をたててをす、男たづねけるハ、いかに船頭殿このうミを今切と名付たるよしうけたまハりし、さだめて子細の侍べるやらんといふ、せんどうこたへていはく、むかしは山につづきたる陸地なりしが、百余年バかり以前に山の中より螺の貝おびただしくぬけ出て海へとび入侍べり、その跡ことの外にくづれて荒井の濱よりおくの山五里バかりひとつにうミに成たる故に、今切と申すなり」
*原文中の変体仮名は平仮名に変換

七つ時は日の出、日没の2時間前を指し、季節によってズレがあるが現在の午前・午後の4時頃にあたる。原文中の七つ時分は日没の2時間前を指しており、日没前には対岸へ着くよう最終の渡し船が出航していたということだろう。艫(とも)は船尾のこと。




弁天島駅
本日の旧東海道歩きは弁天島駅からスタート。


浜名湖弁天リゾート ジオーシャン
弁天島駅前にどっしりと構える”浜名湖弁天リゾート ジオーシャン”。ヤシの木が並び南国リゾートな雰囲気だが、建物前を通る国道1号辺りは、かつて今切渡しの航路だったところ。ここで江戸時代にタイムスリップすれば、無数の波除け杭と行き交う多くの船を見ることだろう。


中浜名橋
新弁天と弁天島を繋ぐ中浜名橋。湖西市と浜松市の境界に架かる。


弁天島海浜公園
弁天島海浜公園と湖中鳥居。最奥に浜名大橋が見える。


弁天島海浜公園
浜辺の小さなハンターが狙う獲物は?


湖中鳥居
湖中鳥居前を小型漁船が疾走。


弁天島海浜公園
釣果はまずまず、それとも今一つ?


弁天橋
弁天島と舞坂を繋ぐ弁天橋。


弁天神社
往古、天女が舞い降り三保の松原へ立ち去ったとの伝説が残る弁天島。ここに鎮座する弁天神社は今切渡船の安全を祈願し、宝永6年(1709年)に建立された。


舞坂宿
舞坂宿渡船場入口、常夜灯のモニュメントを置く。


舞坂宿・今切渡し渡船場
かつての渡船場は小型漁船の係留場に。写真左端に見える石垣が渡船場の遺構。


舞坂宿・今切渡し渡船場跡
舞坂宿今切渡しの渡船場跡。かつて舞坂宿の渡船場は北から北雁木(きたがんげ)・本雁木・渡荷場(とうかば、南雁木とも)と呼ぶ3ヶ所の船着き場を設けていた。写真左側石垣の切れ込んでいる所が北雁木で大名や幕府役人等が利用、本雁木は一般の旅人用、渡荷場が荷物用として使われた。


浜名大橋
渡船場跡より浜名湖を望む。


北雁木
宿場時代の石畳と石垣を残す北雁木。江戸時代に大名や幕府役人等が利用する公用の船着き場。往時の残影が見れよう。


北雁木
これまで多くの渡し場跡を見てきたが、当時の石畳を残しているのは非常に珍しい。それだけに駐車場に使われているのが残念。


北雁木
浜名湖の水辺に向かって続く石畳。茶色がかった石畳と石垣に歴史を感じよう。一部石垣の白い部分は昭和28年(1953年)の台風で石垣が崩れ積み直したもの。


北雁木にて
北雁木にて。養殖カキを陸揚げしているところ。漁師さんが輪についた牡蠣を黙々と外す。牡蠣は浜名湖名産の一つ、明治20年頃から浜名湖のカキ養殖がはじまったとされる。


那須田又七顕彰碑
北雁木近くにある那須田又七顕彰碑。又七は天明4年(1784年)生まれ、16歳の若さで舞坂宿問屋場の書記を務め、後に村・宿役人に就いて舞坂宿の運営に大きく貢献。海苔養殖の基盤を築く等産業振興にも尽力し、その功績により名字帯刀を許され”袱刀爺爺(ふくさがたなのやや)と呼ばれた。嘉永3年(1850年)没、安政5年(1858年)にこの顕彰碑が建立された。


舞阪養かき組合
北雁木の隣りにある舞阪養かき組合。


本雁木
一般旅人用の船着き場、本雁木。舞坂宿の渡船場を往来する通行人が最も多かったのはここだろう。


本雁木
本雁木より舞坂宿を望む。残念ながら本雁木の石畳は撤去されアスファルトが敷かれる。写真右手の石垣だけが往時のものか。


渡荷場(南雁木)跡
舞坂宿の今切渡し渡船場南端、渡荷場(南雁木)跡。主に荷物用の船着き場として使われた。


水神宮
渡荷場(南雁木)に鎮座する水神宮。


渡荷場(南雁木)跡
渡荷場(南雁木)跡は製氷・貯氷施設になっている。


舞坂宿・今切渡し渡船場
渡荷場(南雁木)跡より、往時に思いを馳せて渡船場跡を望もう。


西町常夜灯
舞坂宿京方出入口、西町常夜灯が旅人を出迎える。


旅籠角屋甚三郎跡
宿場入口北角は旅籠角屋甚三郎跡。現在は”電化のかどや”という電器店になり屋号を残している。その西隣りが高札場跡。


本雁木
旧西町より本雁木をズーム。渡し船に乗って関所へ向かう人は気を引き締めてここを去り、そして関所を無事通ってきた人は船を降り安堵の思いでここから舞坂宿に入ったことだろう。


舞坂宿脇本陣
旧脇本陣茗荷屋清兵衛。旧東海道で唯一残る脇本陣の遺構。ここの説明員に聞いた話によれば、ここは近年まで主屋棟部分を改築して医院に使われていて、廃業後に建物を調べたところ脇本陣時代の書院棟が残っていることを発見したという。平成7年(1995年)復元保存のため解体を行った結果、書院棟大棟鬼瓦の箆書(へらがき)や、上段の間の床の間落掛材にあった墨書から天保9年(1838年)の建築であることが判明した。


舞坂宿脇本陣前
脇本陣の向かいが相本陣源馬徳右衛門家跡、その2軒東隣りに本陣宮崎伝左衛門家跡。2軒とも遺構は見当たらず、宮崎本陣跡にその跡地を示す石碑を置く。脇本陣の説明員に本陣について聞いたところ、本陣家の家族は東京へ出て行ってしまい、建物は取り壊され残らなかったとのこと。


舞坂宿脇本陣・玄関
玄関から脇本陣の建物内へ。


舞坂宿脇本陣・店の間
主屋棟の街道に面する部分、店の間。写真奥が玄関。


舞坂宿脇本陣・主屋
主屋棟の六畳間(手前)と八畳間(奥)、坪庭の向こうが客間となる書院棟。


舞坂宿脇本陣・坪庭
主屋棟と書院棟の間、繋ぎ棟に設ける坪庭。風流ですな。


舞坂宿脇本陣・炊事場
勝手口から通り庭の奥にある炊事場、竈と井戸がある。


舞坂宿脇本陣・下湯殿
炊事場の一角には下湯殿がある。主に脇本陣家の家族が使った風呂場。


舞坂宿脇本陣・中廊下
主屋棟と書院棟を繋ぐ中廊下。


舞坂宿脇本陣・東一の間
手前から書院棟東一の間、奥に向かって二の間・三の間と座敷が並ぶ。


舞坂宿脇本陣上段の間
書院棟西側最奥の座敷、上段の間。脇本陣最上級の客室である。今更説明はいならいと思うが、他の座敷より1段高くなっており、身分の高い人が利用した。


舞坂宿脇本陣・土蔵
脇本陣敷地最奥の裏庭。左手が御厠、奥に土蔵がある。


舞坂宿脇本陣・上湯殿
お客様用の風呂場、上湯殿。お銀さんはいないようで。


舞坂宿脇本陣・御厠
客用のトイレの御厠。当然使用禁止です。


舞坂宿脇本陣・裏庭
裏庭より書院棟縁側・入側。


舞坂宿脇本陣・階段
主屋棟台所にある階段から2階へ。


舞坂宿脇本陣・二階
往時の主屋棟は失われたが、1階もさることながら2階部分も往時のものと見紛うほどに復元されている。


舞坂宿脇本陣・駕籠
2階に展示する駕籠。実際に使用されていたものだろう。


舞坂宿脇本陣二階より
2階より脇本陣入口を見下す。往時に大名行列が通っていたならば死罪もんの行為。


女手形
脇本陣見学の最後は主屋棟座敷に展示する女手形。これは舞坂宿問屋伝左衛門の娘を白須賀宿へ差し遣わすため、今切(新居)関所を通すよう西尾隠岐守(横須賀藩主)から関所宛に書かかれたもの。この女手形が無ければ女性は関所を通ることができなかった。


舞坂宿本陣跡
脇本陣斜向かい、宮崎本陣跡。文久2年(1862年)宿内絵図によれば建坪130坪、本陣らしい堂々たる建物を構えていたのだろうが、遺構は全く残っていない。


舞坂宿旧西町
旧西町より渡船場方面を望む。西町には2軒の本陣と脇本陣、問屋場があり宿場の中心をなした。


舞坂宿問屋場跡
うろこや酒店辺りが幕末に問屋場市兵衛家があった場所。


うろこ屋酒店
うろこ屋酒店より江戸方の町並み。


堀江三郎商店
丸三こと堀江三郎商店。”しらす”や”ちりめん”、”たたみいわし”等、舞阪名産を商う。昭和18年(1943年)創業。

浜名湖丸三 堀江三郎商店
http://www.maru3.biz/category/6/


舞坂宿旧仲町
旧仲町の町並み。


岐佐神社
延喜式神名帳に遠江国六十二座、敷智郡六座の一社として社名を載せる岐佐神社。千年以上の歴史を持つ古社だが、明応地震(1498年)の津波で流されて現在地に再建したと伝わる。


岐佐神社
岐佐神社の祭神は蚶貝比売命(きさがいひめのみこと、アカガイの神)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと、ハマグリの神)。古事記「因幡の白兎」の続く話によれば、大国主命(おおくにぬしのみこと、出雲大社の主祭神)は兄神たちから嫉妬を受け、赤猪に見立てる焼けた大石を落とされ、これを受け止め大火傷を負い絶命。懸命の救護で大国主命を蘇らせたのが両祭神だという。


赤猪石
大国主命に致命傷を負わせた大石。社殿横に祀られ赤猪石と呼ぶ。触れば御神徳を授かり厄払いの御利益があるという。


仲町常夜灯
寳珠院門前に立つ仲町常夜灯。文化6年(1809年)舞坂宿に大火があり、その4年後に火防を祈願してこの常夜灯が建立された。火防の神として信仰された秋葉大権現の銘を刻む。


寳珠院
ここ寳珠院は明治6年(1873年)舞阪町に初めて小学校が開設された場所。


仲町常夜灯
仲町常夜灯前を行く旧東海道。


舞坂宿旧新町
旧西町には店名と共に”しらす”や”のり”を看板に掲げる店が点在。


丸吉堀江商店
丸吉堀江商店に立ち寄り品定め。茹でたての釜揚げしらすを買いたかったが、これから浜松まで歩かなければならない旅人には鮮度的に少々荷が重い。無難に”味のり”を買う。

丸吉堀江商店ブログ
http://marukichi.hamazo.tv/


舞坂宿旧新町
旧新町の町並み。


新町常夜灯と舞坂一里塚跡
新町常夜灯と舞坂一里塚跡。江戸日本橋から68里目(約267km)、京三条大橋からは50番目(実測で約244km地点、七里の渡しを27.5kmとして測定)の一里塚だが、実測すると京方隣りの新居一里塚へは約一里半(約6km)の距離がある。新町常夜灯は仲町常夜灯と建立のきっかけを同じくし、文化12年(1809年)火防を目的に建立された。


舞坂宿・見付石垣
舞坂宿江戸方(東側)出入口に残る見付石垣。


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しまむー

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自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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