掛川城

掛川城の前身は明応年間(1492年~1501年)に築かれたとされる守護大名今川家の城で、掛川城より約500m北東、天王山龍華院が建つ地がその城址にあたり、現在は掛川古城と呼ぶ。今川家の遠江支配が拡大するに伴い、永正年間(1504年~21年)新たに築かれたのが今に見る掛川城のはじまり。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が斃れると、武田信玄による駿河侵攻がはじまり、永禄11年(1568年)義元の嫡子氏真は遠江に逃げ掛川城に籠城、翌年に徳川家康が掛川城を攻めて開城させ、徳川家重臣の石川家成が入城し武田家の遠江侵攻に対する拠点とした。天正18年(1590年)家康が関東移封になると、代わって山内一豊が入城、天守を築いて城郭の拡張と城下の整備を行ない、現在に見られる縄張りの基本部分を完成させた。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に一豊は土佐へ移封、後に徳川家康の異父弟松平定勝が入城し掛川藩が立藩する。

江戸時代末期の嘉永7年(安政元、1854年)太田資功が掛川藩主の時、安政東海地震により天守をはじめとする建造物の大半が損壊、二の丸御殿と太鼓櫓、蕗の門、玄関下門は修復再建されたが、天守等は再建されることなく明治維新を迎え廃城に。二の丸御殿は女学校や町役場などに用途を変えながら存続し、昭和47年(1972年)から3年かけて保存修理を行ない、昭和55年(1980年)国の重要文化財に指定、現在は内部を一般公開している。一方の天守は安政の大地震から約140年を経た平成6年(1994年)、木造建築3層4階の建物が復元され、続いて翌年に大手門を復元した。太鼓櫓は荒和布(あらめ)櫓跡に場所を変えて健在、蕗の門は円満寺(掛川市掛川)に、玄関下門は油山寺(袋井市村松)に移築され現存している。




松尾橋と掛川城
松尾橋より望む掛川城。独立丘陵上に立地していることがよくわかる。


こだわりっぱ
登城前に”こだわりっぱ”に立ち寄り、茶そばを食べて腹ごしらえ。


二の丸御殿・玄関
まずは国の重要文化財に指定される二の丸御殿を見学に。ここが御殿入口の玄関。城郭御殿は全国に4ヶ所(二条城二の丸御殿、川越城本丸御殿、高知城本丸御殿、掛川城二の丸御殿)しか残っていない。


二の丸御殿
まずは御殿周囲を回ってみる。ここは記念写真スポット。


二の丸御殿と天守
二の丸御殿と天守。


二の丸御殿・勝手台所井戸跡
御殿最奥部、勝手台所の井戸。勝手台所部分の建物は現存しておらず井戸だけが残っている。


二の丸御殿・物見の松
御殿敷地にある物見の松。塚上に三代目とある松の幼木を植えている。由来がよくわからいが、二の丸の二重櫓跡辺りにあり、何らか関連があるのかも。


二の丸御殿のカノコユリ
御殿敷地に咲くカノコユリ(鹿の子百合)。花言葉は”荘厳、慈悲深さ”だとか。


二の丸御殿・御談の間
玄関を入って広間の奥にある御談の間。来客の取次ぎ部屋で、談合や会議等にも使われた。


二の丸御殿・三の間
三の間。藩主や家老に用向きの場合、まずはここに通されて用件を済ませた。


二の丸御殿・二の間
二の間。藩主への用件取次ぎや身辺を警護する役人が控えた御用部屋で、三の間で処理できない重要な用件はここで取り扱った。


二の丸御殿・次の間
次の間。藩主に謁見できる身分の高い者だけが通された。右奥が三の間で、左奥は藩主が政を行う御書院上の間。


二の丸御殿・次の間と御書院上の間
次の間と御書院上の間。


二の丸御殿・小書院
藩主の休憩室にあたる小書院。


長囲炉裏の間
長囲炉裏の間。藩主やその奥方が使用した部屋。現在は御殿の西側最奥部であるが、往時は写真左奥に勝手台所へ続く通路があった。


長囲炉裏の間天井
長囲炉裏の間で天井を見上げると「桔梗」紋と「違い鏑矢」紋が彫られている。これは掛川藩最後の藩主家太田氏の家紋で、太田氏は2つの家紋を併用していた。


長囲炉裏の間
手前から長囲炉裏の間・次の間・小書院。


二の丸御殿・足軽目付
御殿東側最奥部の足軽目付。足軽の監督者が常駐した部屋。往時は写真左隣りに割場という場所があったが、現在は失われている。おそらく割場は足軽の仕事を割り振った場所かと思う。


二の丸御殿・大目付
藩内の監察・警備等を担った大目付の部屋。


二の丸御殿・御用人部屋
藩の経理や庶務関係を担う用人が使用した部屋。


二の丸御殿・賄方
二の丸御殿の最後は賄方で。ここは藩の経理事務を処理した部屋。木獅子等が展示されている。


三日月堀と掛川城天守
御殿を出て天守へ向かう途中。天守をバックに三日月堀。


掛川城本丸
掛川城本丸。クマとウサギにかたどられた植木を中心に花壇を設けている。


本丸より天守
本丸より望む天守。


本丸より天守
当初の御殿は本丸に設けていたが、老朽化や災害に遭ったことで二の丸に移されたという。おそらく御殿を再建するにあたり、敷地が手狭なため建物の拡張が難しく、二の丸に御殿を移すことにしたのではと、現場を訪れ勝手な私見。


掛川城天守
石段を登って天守へ。


掛川城天守
天守下門跡。前回訪問時には固く閉ざされていた冠木門、本日は開館時間に来れたので開門している。


霧吹き井戸
天守丸に残る霧吹き井戸。永禄12年(1569年)今川氏真が掛川城に籠城して徳川家康に抗ったとき、この井戸から発生した霧が一帯に立ち込め、徳川方の攻撃から城を守ったとの伝説がある。


天守より本丸
天守より本丸を望む。


天守より二の丸御殿02
天守より二の丸御殿。


掛川城大手門
平成7年(1995年)に復元された大手門。元位置より50m程北側に建つ。


掛川城大手門
大手門と大手門番所。


掛川城夕景
掛川城夕景。


掛川城夕景
ライトアップされ夜空を背景に映える天守。


掛川城夕景
太鼓櫓と月。


大手門夜景
大手門夜景。


掛川城夜景
薄く染まる茜空が戦雲急を告げるかのよう。


撮影日:2016年7月16日(土)
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2013年1月13日(日)
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