島田大祭帯祭り
【2016年10月8日(土)旧東海道 島田宿】
元禄8年(1695年)に始まったとされる大井神社の祭礼、島田大祭。俗に”帯祭り”とも呼び親しまれる。その昔、島田に嫁いできた女性は、安産祈願に大井神社に参詣した後、お披露目に宿場内を練り歩くのが慣わしだった。それを不本意に思う花嫁もいたのだろう、見世物にされることを不憫に思った男性が、花嫁の帯を太刀に掛け代わって宿内を練り歩くようになったという。これが大奴(おおやっこ)のはじまりで帯祭りと呼ばれる所以。その大奴の姿と歩く様が奇抜なため、日本三奇祭の一つに数えられる。3年に1度だけ開催される島田大祭は本年(2006年)が108回目、10月8日から10日までの3日間にわたり開催され、私が訪れた当日は御本祭前日の御夕祭。第一街~第五街の屋台がお囃子を鳴り響かせながら運行され、所々で上踊(屋台で披露される地元の子供による踊り)と地踊(屋台に従って披露される数百人による踊り)を披露。 そんな賑わいの中、旧東海道筋の片岡医院では静寂に包まれ大奴25人衆のお門入が行われていた。

島田宿に近づくにつれ祭りの雰囲気に。

島田大祭の第一御中老本部。

大井神社境内前、島田宿西(京方)出入口の枡形跡。

旧東海道に面する大井神社境内入口。

大井神社境内。3年に1度の島田大祭、出店が並び見物客を待つ。

大井神社拝殿。

境内に水を湛える御神池。大井神社は大井川の水を鎮めるため建立された神社といわれ、水の神である弥都波能売神 (みつはのめのかみ)をはじめ、 土の神の波邇夜須比売神 (はにやすひめのかみ) 、日の神の天照大神 (あまてらすおみかみ)を祭神に祀る。三祭神が女神であることから、安産にご利益がある神社として古くから信仰されてきた。

境内には大奴の銅像も。

島田宿内へ。第一街の屋台が出発直前。

本日は車両通行止、旧東海道のど真ん中を堂々と闊歩しよう。

宿内は祭りの見物客で賑わう。

地踊りに先導される第五街の屋台。

黄昏の空の下、第五街の屋台が曳かれる。

宿内にある島田宿一里塚跡。

中村菓子舗。ここで小腹がすいたときにと、川越饅頭を購入しておく。

大奴25人衆による片岡医院お門入り。

静寂の中、ゆっくりと厳かに大奴が片岡医院に入ってくる。

第二街の屋台。

威勢いい掛け声のもと、多くの氏子たちに曳かれる第二街の屋台。

第四街の地踊りを先導にして華やかに屋台が現れた。

県指定無形文化財の島田鹿島踊を披露する子供たち。

鹿島踊は延宝年間(1673年~81年)に、大井神社に春日神社を祀り、疫病退散を願い踊り始めたことに起源があるという。踊り子四役(三番叟・お鏡・太鼓・ササラ)がそれぞれ違う形で同時に踊る。

第五街の氏子たちが屋台を懸命にけん引。

屋台ではお囃子が奏でられ祭りを盛り上げる。

第四街の屋台では可愛らしい踊り子が上踊(長唄屋台踊り)を披露。

第三街の屋台。なかなか様になってます。

大人顔負けの妖艶さ。

最後は第二街の屋台を見て。

川越饅頭をいただきましょう。
元禄8年(1695年)に始まったとされる大井神社の祭礼、島田大祭。俗に”帯祭り”とも呼び親しまれる。その昔、島田に嫁いできた女性は、安産祈願に大井神社に参詣した後、お披露目に宿場内を練り歩くのが慣わしだった。それを不本意に思う花嫁もいたのだろう、見世物にされることを不憫に思った男性が、花嫁の帯を太刀に掛け代わって宿内を練り歩くようになったという。これが大奴(おおやっこ)のはじまりで帯祭りと呼ばれる所以。その大奴の姿と歩く様が奇抜なため、日本三奇祭の一つに数えられる。3年に1度だけ開催される島田大祭は本年(2006年)が108回目、10月8日から10日までの3日間にわたり開催され、私が訪れた当日は御本祭前日の御夕祭。第一街~第五街の屋台がお囃子を鳴り響かせながら運行され、所々で上踊(屋台で披露される地元の子供による踊り)と地踊(屋台に従って披露される数百人による踊り)を披露。 そんな賑わいの中、旧東海道筋の片岡医院では静寂に包まれ大奴25人衆のお門入が行われていた。

島田宿に近づくにつれ祭りの雰囲気に。

島田大祭の第一御中老本部。

大井神社境内前、島田宿西(京方)出入口の枡形跡。

旧東海道に面する大井神社境内入口。

大井神社境内。3年に1度の島田大祭、出店が並び見物客を待つ。

大井神社拝殿。

境内に水を湛える御神池。大井神社は大井川の水を鎮めるため建立された神社といわれ、水の神である弥都波能売神 (みつはのめのかみ)をはじめ、 土の神の波邇夜須比売神 (はにやすひめのかみ) 、日の神の天照大神 (あまてらすおみかみ)を祭神に祀る。三祭神が女神であることから、安産にご利益がある神社として古くから信仰されてきた。

境内には大奴の銅像も。

島田宿内へ。第一街の屋台が出発直前。

本日は車両通行止、旧東海道のど真ん中を堂々と闊歩しよう。

宿内は祭りの見物客で賑わう。

地踊りに先導される第五街の屋台。

黄昏の空の下、第五街の屋台が曳かれる。

宿内にある島田宿一里塚跡。

中村菓子舗。ここで小腹がすいたときにと、川越饅頭を購入しておく。

大奴25人衆による片岡医院お門入り。

静寂の中、ゆっくりと厳かに大奴が片岡医院に入ってくる。

第二街の屋台。

威勢いい掛け声のもと、多くの氏子たちに曳かれる第二街の屋台。

第四街の地踊りを先導にして華やかに屋台が現れた。

県指定無形文化財の島田鹿島踊を披露する子供たち。

鹿島踊は延宝年間(1673年~81年)に、大井神社に春日神社を祀り、疫病退散を願い踊り始めたことに起源があるという。踊り子四役(三番叟・お鏡・太鼓・ササラ)がそれぞれ違う形で同時に踊る。

第五街の氏子たちが屋台を懸命にけん引。

屋台ではお囃子が奏でられ祭りを盛り上げる。

第四街の屋台では可愛らしい踊り子が上踊(長唄屋台踊り)を披露。

第三街の屋台。なかなか様になってます。

大人顔負けの妖艶さ。

最後は第二街の屋台を見て。

川越饅頭をいただきましょう。

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