碓氷峠越え⑥

陣場が原で道は二手に分かれる。直進する道が幕末に造られた和宮道。中山道は左の道を行く。ここは太平記の新田方と足利方、戦国時代の武田方と上杉方の合戦場になったといわれる。

旅人が姿を直した化粧水跡の水場を経て、人馬施行所跡に至る。文政11年(1828年)江戸呉服の与兵衛が安中藩から土地を借りて、笹沢の清流が流れるほとりに人馬の休憩所を設けた。

急斜面の長坂を登り碓氷峠へ。

やがて思婦石の前で大きく迂回してきた和宮道と合流し、碓氷川の水源地を左眼下に見ながら峠の頂上に到着する。峠名物の力餅屋が並んでいるが、既に時間は17時をとっくに過ぎ、ひと気はない。力餅は次の機会にお預けとする。

日本武尊が祀ったと伝わる熊野神社。群馬と長野の県境に建ち、ここから先は信州・長野県だ。また、ここは中央分水嶺(水の分去れ)となっており、ここに降る雨水は日本海側と太平洋側の異なる方向に流れる境界点である。
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