新坂越え
【旧東海道歩き 第30日目】新蒲原駅→蒲原宿→吉原宿→吉原本町駅
【2018年2月11日(日)旧東海道 蒲原宿→吉原宿】
昨年(2017年)11月以来の旧東海道歩き。2018年の正月を迎えたかと思いきや、早いものでもう2月、東京駅から6:33発こだま631号に乗車して7:24三島駅着、7:29三島駅発の東海道本線島田行に乗り換えて8:01新蒲原駅で下車する。天気は真冬ながらも温暖な静岡、暖かい日差しが心地よいウォーキング日和である。蒲原宿から富士川を越えて吉原宿を目指そう。
蒲原宿を東木戸跡から抜けて東(江戸方)へ旧東海道を進み、狼煙場川を越えた先で行く手を北へ向けて上り坂に。これが今に残る中之郷村(現 富士市中之郷)と蒲原宿を繋ぐ東海道の新坂で、江戸時代末期に開通した新ルート。それ以前は新坂の西側を通っていた七難坂が東海道のルートだったが、天保14年(1843年)に富士川が氾濫して七難坂が崩壊し、新坂ルートを新たに開通させた。

蒲原宿最寄りの新蒲原駅に降り立ち。

蒲原宿から旧東海道歩きを再開。

行き交う人や車は少なく静かな蒲原宿。

旧東海道から延びる龍雲寺参道。

木屋江戸資料館前の塀には”蒲原の名所、旧跡”と題して写真を掲示。

諏訪橋北側の山斜面には巨大な導水管。これは日本軽金属の発電用水路。

蒲原宿東側(江戸方)出入口の東木戸跡。

東木戸跡の常夜燈。文政13年(1830年)建立。

東木戸跡には道筋に枡形の痕跡が残る。

蒲原宿東外れに鎮座する諏訪神社。

諏訪神社石段。

諏訪神社の御神木、シイノキ。樹齢不詳。

諏訪神社参道入口から旧東海道を東へ約100m、北条新三郎の墓入口がある。

竹林の中に佇む北條新三郎の墓。永禄12年(1569年)武田軍の攻撃により蒲原城が落城、城主だった北條新三郎は常楽寺へ逃れ、寺に火を付けて自害したという。この墓近くに常楽寺が存在していたようだが、跡地は不明。

蒲原一里塚跡。江戸日本橋から38里(約149km)、京三条大橋からは77番目で実測約369km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。両塚とも現存せず。民家前に小さな社と一里塚碑を設ける。

狼煙場川に架かる古そうなコンクリート橋を渡り。

新坂と七難坂の分岐点。右直進方向が天保14年(1843年)の富士川氾濫により崩壊した七難坂方面、左方向が新たに付け替えられた新坂。

新坂登り口。

新坂の坂途中にある光蓮寺。

新坂より蒲原方面。結構な急勾配。

中之郷へ向かって上る新坂。

東名高速上に架かる新坂橋。新坂の頂上付近に東名高速が通ったことで旧道は消失、現在は新坂橋が架けられ旧道ルートを繋いでいる。

新坂の旧道消失地点。

東名高速を越えて間もなく新坂は下りに転じ。

新坂の路傍に佇む馬頭観音三体。

新坂を下り。

坂を下って途中に見つけた馬頭観音。

新坂を下りきったところに明治天皇御駐輦之趾碑。

中之郷小池、新幹線との交差手前でY字路に。旧東海道はここを直進し、新幹線ガード下を潜り抜ける

Y字路に残る中之郷小池の秋葉山常夜燈。嘉永4年(1851年)建立。

新幹線を潜り抜ければ中之郷宮町。佐野酒店前を行く旧東海道。

佐野酒店から旧東海道を少し先、山側の小路に入った小山上に春埜堂が建つ。

春埜堂は遠州三霊山の一つ春埜山(はるのさん、浜松市天竜区春野町)に関わる御堂と思われるが、由縁等は不明。

春埜堂から少し登って小山の頂上にある祠。

中之郷宮町にある秋葉山常夜燈。「棒ヶ谷戸町内」と刻む。安政3年(1856年)建立。

ツル家菓子店。富士川右岸、間の宿の岩淵で名物だった”栗の粉餅”を再現して製造販売する。そんなことを知らずにスルーしてしまった…。再訪確定。

小池川に架かる小池橋。

小池橋を渡れば中之郷四十九町に。旧東海道は橋から東へ70m程行った所で東名高速により分断されている。

中之郷四十九町、旧道の消失地点付近に残る三田講碑。

三田講碑から道を挟んで北側、金鶴神社・山之神神社碑への登り口がある。せっかくなので登ってみよう。

こんな参道を登って。

行き着いたところに金鶴神社・山之神神社碑がある。昭和42年(1967年)に新町・四十九区民一同により建立されたもの。かつては付近に社殿や鳥居があったのだろうが、東名高速の建設で失われたと思われる。

東名高速のガード下を潜り抜ければ中之郷新町本町。新町本町の京方入口に、野田山健康緑地公園の案内図や夢舞台東海道「中之郷」道標が設けられている。

中之郷新町本町を行く旧東海道。

新町本町区防災倉庫前にある常夜燈。

中之郷新町本町の北(江戸方)端に位置する若月酒店。ここから先は中之郷新町。

中之郷新町に入り旧東海道から振り返って京方を望む。

蒲原宿東外れで分かれた新坂と七難坂ルートが落ち合うのがここ。富士川の渡しから新坂へ向かう旧東海道が不自然に曲折している。右方向が天保14年(1843年)以前の七難坂ルート。

新坂と七難坂ルートの分岐点から富士川の渡し(江戸方)方向を望む。

中之郷と岩淵の境にあたる中之郷堺町。

中之郷堺町の秋葉山常夜燈。横に消火器があるのがニクイねえ。

路傍に佇む南無大悲観世音菩薩の石板碑。

この辺りが中之郷(手前)と岩淵(奥)の境。続きは次の記事で。
【2018年2月11日(日)旧東海道 蒲原宿→吉原宿】
昨年(2017年)11月以来の旧東海道歩き。2018年の正月を迎えたかと思いきや、早いものでもう2月、東京駅から6:33発こだま631号に乗車して7:24三島駅着、7:29三島駅発の東海道本線島田行に乗り換えて8:01新蒲原駅で下車する。天気は真冬ながらも温暖な静岡、暖かい日差しが心地よいウォーキング日和である。蒲原宿から富士川を越えて吉原宿を目指そう。
蒲原宿を東木戸跡から抜けて東(江戸方)へ旧東海道を進み、狼煙場川を越えた先で行く手を北へ向けて上り坂に。これが今に残る中之郷村(現 富士市中之郷)と蒲原宿を繋ぐ東海道の新坂で、江戸時代末期に開通した新ルート。それ以前は新坂の西側を通っていた七難坂が東海道のルートだったが、天保14年(1843年)に富士川が氾濫して七難坂が崩壊し、新坂ルートを新たに開通させた。

蒲原宿最寄りの新蒲原駅に降り立ち。

蒲原宿から旧東海道歩きを再開。

行き交う人や車は少なく静かな蒲原宿。

旧東海道から延びる龍雲寺参道。

木屋江戸資料館前の塀には”蒲原の名所、旧跡”と題して写真を掲示。

諏訪橋北側の山斜面には巨大な導水管。これは日本軽金属の発電用水路。

蒲原宿東側(江戸方)出入口の東木戸跡。

東木戸跡の常夜燈。文政13年(1830年)建立。

東木戸跡には道筋に枡形の痕跡が残る。

蒲原宿東外れに鎮座する諏訪神社。

諏訪神社石段。

諏訪神社の御神木、シイノキ。樹齢不詳。

諏訪神社参道入口から旧東海道を東へ約100m、北条新三郎の墓入口がある。

竹林の中に佇む北條新三郎の墓。永禄12年(1569年)武田軍の攻撃により蒲原城が落城、城主だった北條新三郎は常楽寺へ逃れ、寺に火を付けて自害したという。この墓近くに常楽寺が存在していたようだが、跡地は不明。

蒲原一里塚跡。江戸日本橋から38里(約149km)、京三条大橋からは77番目で実測約369km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。両塚とも現存せず。民家前に小さな社と一里塚碑を設ける。

狼煙場川に架かる古そうなコンクリート橋を渡り。

新坂と七難坂の分岐点。右直進方向が天保14年(1843年)の富士川氾濫により崩壊した七難坂方面、左方向が新たに付け替えられた新坂。

新坂登り口。

新坂の坂途中にある光蓮寺。

新坂より蒲原方面。結構な急勾配。

中之郷へ向かって上る新坂。

東名高速上に架かる新坂橋。新坂の頂上付近に東名高速が通ったことで旧道は消失、現在は新坂橋が架けられ旧道ルートを繋いでいる。

新坂の旧道消失地点。

東名高速を越えて間もなく新坂は下りに転じ。

新坂の路傍に佇む馬頭観音三体。

新坂を下り。

坂を下って途中に見つけた馬頭観音。

新坂を下りきったところに明治天皇御駐輦之趾碑。

中之郷小池、新幹線との交差手前でY字路に。旧東海道はここを直進し、新幹線ガード下を潜り抜ける

Y字路に残る中之郷小池の秋葉山常夜燈。嘉永4年(1851年)建立。

新幹線を潜り抜ければ中之郷宮町。佐野酒店前を行く旧東海道。

佐野酒店から旧東海道を少し先、山側の小路に入った小山上に春埜堂が建つ。

春埜堂は遠州三霊山の一つ春埜山(はるのさん、浜松市天竜区春野町)に関わる御堂と思われるが、由縁等は不明。

春埜堂から少し登って小山の頂上にある祠。

中之郷宮町にある秋葉山常夜燈。「棒ヶ谷戸町内」と刻む。安政3年(1856年)建立。

ツル家菓子店。富士川右岸、間の宿の岩淵で名物だった”栗の粉餅”を再現して製造販売する。そんなことを知らずにスルーしてしまった…。再訪確定。

小池川に架かる小池橋。

小池橋を渡れば中之郷四十九町に。旧東海道は橋から東へ70m程行った所で東名高速により分断されている。

中之郷四十九町、旧道の消失地点付近に残る三田講碑。

三田講碑から道を挟んで北側、金鶴神社・山之神神社碑への登り口がある。せっかくなので登ってみよう。

こんな参道を登って。

行き着いたところに金鶴神社・山之神神社碑がある。昭和42年(1967年)に新町・四十九区民一同により建立されたもの。かつては付近に社殿や鳥居があったのだろうが、東名高速の建設で失われたと思われる。

東名高速のガード下を潜り抜ければ中之郷新町本町。新町本町の京方入口に、野田山健康緑地公園の案内図や夢舞台東海道「中之郷」道標が設けられている。

中之郷新町本町を行く旧東海道。

新町本町区防災倉庫前にある常夜燈。

中之郷新町本町の北(江戸方)端に位置する若月酒店。ここから先は中之郷新町。

中之郷新町に入り旧東海道から振り返って京方を望む。

蒲原宿東外れで分かれた新坂と七難坂ルートが落ち合うのがここ。富士川の渡しから新坂へ向かう旧東海道が不自然に曲折している。右方向が天保14年(1843年)以前の七難坂ルート。

新坂と七難坂ルートの分岐点から富士川の渡し(江戸方)方向を望む。

中之郷と岩淵の境にあたる中之郷堺町。

中之郷堺町の秋葉山常夜燈。横に消火器があるのがニクイねえ。

路傍に佇む南無大悲観世音菩薩の石板碑。

この辺りが中之郷(手前)と岩淵(奥)の境。続きは次の記事で。

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