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藤枝宿

【2016年10月9日(日)旧東海道 藤枝宿】
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東海道五十三次之内藤枝 人馬継立
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「藤枝宿」より引用


志太から瀬戸川を渡れば藤枝宿で、今は勝草橋で難なく渡河できる。江戸時代には仮橋を架けることもあったようだが、川越人足による”徒歩渡し”で旅人を渡河させており、瀬戸川両岸に位置する藤枝側の河原町、島田側の志太村・稲川村には川越人足15人が常備されていた。大井川には遠く及ばず川幅も狭くて水深も浅かったが、それでも大井川と同じく川の水量で川越し賃銭が定められ、最も高い乳通水で32文(約960円)だったとか。大井川の川越し賃で最も安い股通しの48文(約1440円)より安く、それほど難なく渡ることができたことが想像できる。そのため自力で歩いて渡る旅人も多かったようで、川越人足は目溢ししていたらしい。

藤枝宿は江戸日本橋から東海道五十三次を22宿目、京都三条大橋から32宿目。水守・市部・五十海(いかるみ)・若王子(にゃくおうじ)・鬼岩寺・益津・長楽寺・郡(こおり)村の8ヶ村の各一部から成り、宿西側入口の川原町から上伝馬町・木町・吹屋町・鍛冶町・長楽寺町・白子町・下伝馬町・左車町の9ヶ町で構成。川原・木町・吹屋町・鍛冶町は上伝馬町、長楽寺町・左車町は下伝馬町に属し、上・下伝馬町それぞれに問屋場を置いて、上伝馬町が江戸方への下りの荷物、下伝馬町では京方への上りの荷物を継立した。長楽寺町と下伝馬町の間にあった白子町は、本能寺の変の際に徳川家康の危機を救った伊勢国白子の小川孫三が移り住んだことに由来し、家康から地子・諸役御免の朱印状を与えられたことで、人馬継立等の諸役が免除される町だった。天保14年(1843年)当時、宿内町並み東西19町12間(約2093m)、人口4425人、家数1061軒、うち本陣2、脇本陣0、旅籠屋37軒。下伝馬町に田中城の大手口があり、城下町のとして側面も持っていた。名物は染飯と鮮魚料理、名産品に”藤枝だるま”。




瀬戸川
藤枝宿西外れを流れる瀬戸川。かつては川越人足による徒歩渡しで渡河していたが、見ての通りの川幅と水量なので、自力で徒歩渡りする旅人も多かった。


勝草橋東詰
勝草橋東詰。この先は藤枝宿の旧川原町。町長さ54間(約94m)の短い町だったが、宿入口には西木戸門が設けられ、川庄屋や川会所があった。おそらく川越人足が待機する宿もあったはず。


池田屋
サッカー最中の池田屋辺りが川原町と上伝馬町の境だったと思われる。ちなみに池田屋はサッカーボール型の最中を製造販売していた和菓子屋だが、訪れたときにはシャッターが閉められていた。


旧藤枝宿川原町・上伝馬町
旧上伝馬町に入り振り返って旧川原町方面。


本願の松
正定寺の境内で見事な枝ぶりを見せる本願の松。


瀬戸谷街道分岐点
焼津信用金庫とビジネスホテル富岡屋がある交差点。ここは上伝馬町の東海道から瀬戸谷街道が分岐していた追分。北西方向に延びる瀬戸谷街道筋は旧木町にあたる。


上伝馬問屋場跡
上伝馬交番のある場所が上伝馬問屋場跡。


上伝馬問屋場跡
上伝馬交番左隣の江崎パーキングには”上伝馬問屋場跡”の解説板を設置している。


藤枝宿上本陣跡
藤枝タクシーの辺りが上本陣跡。


藤枝宿下本陣跡
柴田医院駐車場辺り(写真右手)が下本陣跡。藤枝宿の上・下本陣は跡形もなく消え去っている。


旧藤枝宿上伝馬町
下本陣跡より京方の旧上伝馬町。


旧藤枝宿上伝馬町
大慶寺付近、旧上伝馬町東側の町並み。


久遠の松
大慶寺の境内で樹勢を誇り聳える久遠の松。日蓮がお手植えの伝説がある。


神明神社
上伝馬町の神明神社。境内に池波正太郎が書いた時代小説の主人公”仕掛人 藤枝梅安出生地”の碑を置く。半年前、真田丸ブームに乗って上田へ行ったときに見学した”真田太平記館”のことを、こんなところで思い返すことになるとは。歴史小説が繋げる縁を感じてしまう。


千歳公園
旧吹屋町の千歳交差点北西角にある千歳公園。


旧藤枝宿鍛冶町
”ちとせ通り”の北側が旧吹屋町で、南側が旧鍛冶町にあたる。


旧藤枝宿長楽寺町
かつての長楽寺町は長楽寺商店街に。


旧藤枝宿白子町
本能寺の変の後、徳川家康を助けた小川孫三が移り住み、諸役御免の朱印状を賜った白子町。現在は白子名店街に。


徳川家康ゆかりの町「白子町」の看板
徳川家康ゆかりの町「藤枝白子町」の看板。白子町の成立は本能寺の変から4年後の天正14年(1586年)とある。


旧藤枝宿下伝馬町
旧白子町の江戸方隣りの旧下伝馬町。こちらは本町商店街になっている。


旧藤枝宿下伝馬町
サッカーボールを模した街灯が印象的な本町商店街。


田中城大手入口
旧下伝馬町の田中城大手入口。ここで本日の歩き旅は終い。続きは田中城址の散策からにしよう。


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田中城址

【旧東海道歩き 第25日目】西焼津駅→田中城址→藤枝宿→岡部宿→岡部支所前停留所



【2016年12月24日(土)旧東海道 藤枝宿】
藤枝宿から南東に約1km、江戸時代を通して田中藩の藩庁をなす田中城があった。北に葉梨川、南に瀬戸川が流れる低地に築かれた平城で、天文6年(1537年)今川氏が築いた城が前身。今川義元が桶狭間に斃れて後は武田家の城となり、山県昌景や板垣信安が入城し改修を加えた。関ヶ原合戦で徳川が勝利を収めて翌年の慶長6年(1601年)、酒井忠利が田中城に入り城郭を拡張整備、今に見る本丸を中心に同心円状に外郭が囲む珍しい構造の城郭が形成される。二の丸や三の丸出入口には武田流築城術の特徴といわれる半円形の丸馬出と三日月堀が設けられ、今川・武田時代から徳川の世に至り、中世から近世城郭へと歩む変遷が見られる貴重な城郭遺構と言えよう。因みに徳川家康の死因は”鯛の天ぷら”による食中毒ともいわれるが、その”鯛の天ぷら”を食べたとされるのが、ここ田中城なのである。

私はここを訪れて興味深い歴史を知る。私の住んでいる柏市の北西部には行政区域名になっていないにも関わらず、田中と呼ばれる地域があり、”柏たなか駅”や”柏たなか病院”をはじめ”田中小学校”に”田中中学校”、JAいちかわ田中(旧田中農協)など、田中を名に付ける施設が多くあるのだが、その由来を特に気にすることはなかった。田中城下屋敷を訪ねた際、案内人の方に柏市から来たことを告げると、田中藩には柏市域に飛領があって陣屋を構えていたこと、その陣屋があった船戸地区とは祭りなどで交流があることなどを聞く。なるほど、柏の”田中”はここに存在した田中藩に由来があったのか!と、偶然ながらローカルな歴史を知り、何だか柏市民として縁を感じてしまう。案内人の方に説明を聞いた後、「柏から来てくださったことを知ればメンバーも喜びますので是非ご署名を」と言われ、私も嬉しい思いで来場者名簿に住所と氏名を記入したしだい。旅の面白さは遠くの観光地に行くことではない、こういった偶然の出会いにこそ醍醐味があるのだ。




西焼津駅
田中城址の最寄り駅、西焼津駅で下車。


六間川橋
西焼津駅からとぼとぼ歩いて、田中城内東側入口にあたる六間川橋に着く。江戸時代には新宿木戸が設けられていた。


田中城下屋敷
六間川橋から下流方向に向かって歩き、田中城下屋敷へ。ここは江戸時代後期に藩主の下屋敷があった所で、築山・泉水・茶室などが設けられていた。現在は当時の下屋敷の構造を復元すると共に、田中城ゆかりの建物を集めて一般公開している。入口には冠木門、その傍らには田中城本丸櫓が移築され城跡らしい景観を見せる。


田中城本丸櫓
田中城本丸櫓。本丸南東隅の石垣上にあった”御亭”と呼ぶ建物が、この櫓だとされる。本丸櫓は明治維新後に村山氏に払い下げられ、移築して長きに渡り住宅として利用されてきたが、近年に村山氏から寄贈を受け、再び田中城の地に戻ることになった。


田中藩牓示石
本丸櫓の傍らには田中藩牓示石を置く。この「従是西田中領」と刻む標石は、かつて東海道筋の”法の橋”袂(藤枝市仮宿)にあった。


田中城本丸櫓
本丸櫓1階内部。


田中城下模型
本丸櫓1階に展示する田中城下の模型。


田中城下模型
田中城模型の本丸。現在の本丸は西益津小学校の敷地と化し、その周辺を取り囲む二の丸・三の丸も宅地化されてしまった。


田中城本丸櫓
本丸櫓2階内部。


田中城本丸櫓より本丸方面
本丸櫓2階より本丸方面を望む。


田中城本丸櫓
澄み切った深い青空に本丸櫓が映える。


長楽寺村郷倉
長楽寺村郷倉。かつて長楽寺村(現 藤枝市本町1丁目)にあった年貢米や非常米(飢饉に備えた救済貸付用の米)の保管蔵で、明治10年頃に中西家へ払い下げられたもの。中西家より近年に寄贈された。


大溝跡
下屋敷泉水から旧六間川枝流路の大溝跡。


土塁跡
旧六間川本流と大溝の間に設けられていた土塁跡。


下屋敷庭園跡
下屋敷庭園跡の解説板。


下屋敷泉水
下屋敷泉水。かつては六間川の本流を利用した下屋敷庭園の池で、昭和時代には畑地と化していたが、近年に下屋敷が整備されるにあたり復元された。


仲間部屋と厩
仲間部屋と厩。大洲村(現 藤枝市大洲)の大塚家長屋門は田中城内から移された建物との言い伝えがあり、市が調査したところ付設する納屋が城内にあったものと判明、仲間部屋と厩を1棟に仕立てた建物で、板材の書付から安政6年(1859年)頃の建築と推定されている。近年に大塚家より寄贈された。


仲間部屋
仲間部屋。


馬場・馬見所跡
下屋敷から六軒川の対岸、馬場・馬見所跡。


六間川
下屋敷の北西辺を流れる六間川。


六間川橋
六間川筋を上流へ進み再び六間川橋に戻り。


作事役所跡
六間川橋から北西に約60m、作事役所跡。


新宿一之門三日月堀跡
新宿一之門跡前。住宅地と化した路傍には、新宿一之門前の三日月堀跡を示す標柱がひっそりと立つ。


新宿一之門跡
三の丸南東側入口の新宿一之門跡。西益津小学校の敷地一角にその跡地を示す標柱がある。


新宿二之門三日月堀(馬出曲輪)跡
新宿二之門前、三の丸に設けていた三日月堀(馬出曲輪)跡。わずかにその遺構と水を残している。


新宿一之門・二之門絵図
新宿二之門前の三日月堀跡に設ける解説板より。往時の絵図を見れば、その変遷を実感できよう。


三之堀跡東辺
三之堀跡東辺。かつての水堀は水田と用水路に化しているが、僅かに土塁を残している。


三之堀跡東辺の土塁
三之堀東辺に残る土塁(写真奥)。


三之堀跡の排水溝
田中城は平城といった立地条件だけに、水堀の所々から湧き水が出ていたとのことだが、鉄分が多く飲料には適さなかったという。排水溝の水底を見れば、今も水に多くの鉄分が含んでいることをうかがう。田中城で飲料等に用いる上水は、城西の姥ヶ池から城内まで水道管を敷設して引いていた。


家老重富代助屋敷跡
平島一之門前にあった家老の重富代助屋敷跡。


平島一之門跡
三の丸北東側入口の平島一之門跡。写真奥が本丸方面で、70m程先に二の丸入口となる平島ニ之門があった。元々はここが大手口で御成街道に通じていたが、江戸時代になると藤枝宿側へ大手口が移り、ここは開かずの門になったという。


三之堀跡と土塁
平島一之門跡の西側に残る三の丸土塁。


三之堀跡と土塁
三の丸土塁前にあった三之堀は田畑になっている。


家老遠藤俊臣屋敷跡
平島二之門跡前、原田動物病院の辺りが家老の遠藤俊臣屋敷跡。


平島二之門跡
平島二之門跡より一之門跡を望む。


本丸堀跡
本丸北東辺の本丸堀跡。かつて本丸を取り囲んだ水堀は道になり。


本丸跡
本丸跡には西益津小学校の校舎が建ち、中に入ることはできない。


本丸02跡
西益津小学校の敷地内を柵越しに覗くと、田中城の模型らしきものが見える。本丸らしき場所に天守があるのだが、田中城に天守は存在しなかったはず。


本丸堀跡
本丸堀跡より平島二之門跡方面。


大手二之門跡
二の丸北西側入口の大手二之門跡。二之堀に架かっていた木造の太鼓橋を復元している。


二之堀
太鼓橋上より二之堀を望む。


二之堀
田中城の水堀がほぼ埋め立てられてしまった中、二之堀の西辺は水を残し往時を偲ぶ。


西益津中学校
御殿跡に建つ西益津中学校。


大手一之門跡
三の丸北東側入口の大手一之門跡。沢医院の敷地内(写真右手)に土塁らしき土盛りが見られる。


大手一之門前の三日月堀跡
大手一之門前の三日月堀跡。痕跡は全くない。写真奥が大手一之門跡。


日知館跡
大手一之門の北側、三の丸にあった日知館跡。民家の敷地内に日知館跡の標柱がある。日知館は田中藩の藩校。


三之堀南西辺
大手一之門跡の南側、水堀を残す三之堀の南西辺。


三之堀南西辺
水堀と土塁の遺構が残り城跡らしい雰囲気。


三之堀にて
三之堀にて。


武家屋敷・石垣跡
三之堀の外側には武家屋敷の石垣跡。


三之堀と武家屋敷跡
土塁上より三之堀と武家屋敷の石垣跡を望む。


清水御門跡
清水御門跡。西益津中学校の校舎が建ち遺構は残っていない。


勤番長屋跡
清水御門前にあった勤番長屋跡。


南部屋跡
南部屋跡は西益津中学校のグランドやテニスコートに化している。


姥ヶ池
田中城の南西外れで水を湛える姥ヶ池。今も清水が湧き出している。江戸時代にはここから水道の木管を城内まで敷設して水を引き、飲料等の上水として利用した。


松原木戸跡
藤枝宿方面から城内への入口、松原木戸跡。ここで田中城址の散策は終わとし、藤枝宿へ向かう。


田中神社
松原木戸跡西側の観音山。かつての大手道はこの山の南西麓を通っていた。麓に田中神社と満願寺がある。


田中神社02
田中神社拝殿。裏手の観音山頂に本殿がある。


大手木戸口跡
旧東海道から大手道の分岐点、大手木戸口跡。


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藤枝から岡部に

【2016年12月24日(土)旧東海道 藤枝宿→岡部宿】
藤枝宿を東木戸から出た旧東海道は間もなく、葉梨川が大きく曲がる鐙ヶ淵(あぶみがふち)の川岸を通り、水守・鬼島の集落に至る。鐙ヶ淵は川筋の曲がり具合が馬の鐙に似ていることからその名が付いたとされ、江戸時代に刊行された「東海道分間絵図」や「東海木曽両道中懐宝図鑑」に見ることができ、「東海道中膝栗毛」 では狂歌で紹介している。

ここもとは 鞍のあぶみが ふちなれど 踏(ふん)またがりて 通られもせず

東海道中のちょっとした名所の鐙ヶ淵であるが、実は中世に身投げの名所でもあったらしい。それを見かねた浄土宗開祖の法然が、鐙ヶ淵の岸にあった柳の大木から観世音菩薩像を彫り、身投げを止めるべく祀ったとされる。残念ながら現在は河川改修によって鐙ヶ淵の姿を見ることはできない。しかしながら、法然が祀った観世音菩薩像を由来とする観音堂が、鐙ヶ淵跡の河岸段丘上に建ち往時を偲んでいる。

鬼島の集落を過ぎ、葉梨川を渡ってその左岸を北上して朝比奈川を渡れば横内の集落、直線道の東海道筋に松並木が続く横内縄手を通り抜ければ岡部宿加宿の新町に着く。




旧藤枝宿下伝馬町
大手木戸口跡から東へ、旧藤枝宿下伝馬町の町並み。


新護寺
成田山新勝寺(千葉県成田市)の直末寺院、新護寺。成田山不動明王の分霊を祀る。


浜小路
旧下伝馬町東海道から分岐する浜小路。その分岐点に「是より焼津湊まで一里余」と書いた標柱があり、藤枝から焼津へ至る生活道路がここから分岐していたのだろう。


藤枝宿東木戸門跡
東木戸門跡。ここがかつての藤枝宿江戸方出入口。


旧東海道 藤枝市本町4丁目
藤枝市本町4丁目の旧東海道。4本の若い松が並ぶ。


旧東海道 藤枝市水守
本町4丁目の松並木先で旧道は消失。かつての東海道は丸源ラーメンやモスバーガーの敷地を経て、 ”しずてつストア”西辺の道へ続いていた。


旧東海道 藤枝市水守
旧東海道消失地点、モスバーガー付近の静岡県道381号。


旧東海道 藤枝市水守
”ミスターぶんぐ”前から現れる旧東海道。ここから江戸方に向かって沿道の所々に松が残っている。


旧東海道 藤枝市水守
”しずてつストア”西辺に残る旧東海道と松。


水守中央公園
水守中央公園内に残る松並木。道が無くなって松並木だけが残るという珍しいパターン。


水守中央公園
この松並木の間を東海道が通っていたわけだ。


旧東海道 藤枝市水守
水守中央公園の東側で消失した旧東海道が、写真左手から奥に向かって現れる。


鐙ヶ淵跡
鐙ヶ淵跡を東側から望む。川は埋め立てられ住宅地と化し往時を偲びようもない。


鐙ヶ淵跡
鐙ヶ淵跡付近の葉梨川。


全居寺と須賀神社
鐙ヶ淵跡の北側、旧東海道沿いにある全居寺と須賀神社。


須賀神社のクス
須賀神社境内のクスは樹齢およそ500年という古木。


全居寺の観音堂
鐙ヶ淵跡の河岸段丘上に建つ観音堂。法然が祀った観世音菩薩像を由来とする。


渡御橋
青山八幡宮の参道、葉梨川に架かる渡御橋。


青山八幡宮大鳥居
旧東海道沿い、青山八幡宮参道入口に立つ大鳥居。


旧東海道 藤枝市鬼島
鬼島の集落を行く旧東海道。


秋葉神社跡地
鬼島の秋葉神社跡。


八幡橋
葉梨川を八幡橋で渡る。


八幡橋と葉梨川
八幡橋と葉梨川。


八幡橋南詰
八幡橋上から南詰方向。かつては南詰で旧東海道から田中城平島口へ至る御成街道が分岐していた。


八幡橋
八幡橋全景。


八幡橋北詰
八幡橋北詰から北へ延びる旧東海道。


旧東海道 藤枝市鬼島
相田橋西詰付近の旧東海道。


鬼島一里塚跡
鬼島一里塚跡。江戸日本橋から49里目(約192km)、京三条大橋からは66番目で実測約320km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定)にあたる。両塚とも現存しない。


旧東海道 藤枝市鬼島03
鬼島一里塚付近に残る松並木。


旧東海道 藤枝市八幡
八幡で県道381号と旧東海道(県道208号)が合流、旧道はすぐに右へ離れる。


旧東海道 藤枝市仮宿
橋名不明の橋を渡る。北袂に名残松。この付近の旧東海道のルートは少々違っていたようなので、記事初めのグーグルマップを参照してほしい。


従是田中領標石
橋名不明の橋北袂にある名残松。ここに「従是田中領」の復元標石を置く。本物は田中城下屋敷に移されている。


旧東海道 藤枝市仮宿
仮宿交差点の歩道橋上から京方を望む。写真左奥方向の道が旧東海道、右が現東海道の静岡県道208・381号。


旧東海道 藤枝市仮宿03
仮宿交差点の歩道橋上から江戸方。右が静岡県道381号、左に旧東海道が延び松並木が残る。


仮宿の松並木
仮宿の松並木。その入口は岩村藩領傍示杭跡にあたり、「従是東巌村領横内」と記す傍示杭のモニュメントが立つ。


旧東海道 藤枝市横内
松並木を抜ければ横内の集落に。かつて横内の旧東海道筋は西から橋向町・橋場町・仲町・油街途町に分けられていた。


はずれの家
旧横内村橋向町の旧東海道沿いにある”はずれの家”おそらくこの家が橋向町の西端だったのだろう。


松見軒
松見軒の屋号を掲げる家。


横内橋
朝比奈川に架かる横内橋。


旧東海道 藤枝市横内
横内橋東詰、旧横内村橋場町の町並み。


横内あげんだい
横内橋東袂に立つ”横内あげんだい”で使う竹籠。”あげんだい”は明治38年(1905年)から横内で行われてきた盆の送り火法要(毎年8月16日)で、戦後に途絶えていたこの行事を昭和53年(1978年)古老の意見をもとに試行錯誤して復元したという。木柱上の竹籠に向かって松明を投げ入れるらしい。


横内あげんだい
横内歴史研究会の”夏祭り川原供養祭”を案内するポスター。


陣屋小路
横内の陣屋小路。かつてこの先に美濃岩村藩の駿河領を支配する横内陣屋が設けられていた。


横内陣屋跡
横内陣屋跡は住宅や畑地と化して遺構を残さないが、陣屋跡最奥に御陣屋稲荷が残り往時を偲ぶ。


西村小路
西村小路と高札場跡。かつて小路沿いには横内村の郷倉があった。


慈眼寺
慶長4年(1599年)開創の西了山慈眼寺。横内陣屋三代目代官の田中清太夫を祀った代官地蔵尊がある。


慈眼寺宗吾霊堂
本堂脇には宗吾霊堂があり、義民佐倉宗吾を祀る。

千葉県佐倉市の宗吾霊堂については過去記事にあるので参照を↓
宗吾参道①
宗吾参道②


旧横内公会堂跡
慈眼寺の白壁塀前には旧横内公会堂跡の標柱を置く。


稲荷小路
慈眼寺境内の北辺を通る稲荷小路。


松乃茶屋
松乃茶屋の屋号を掲げる民家。昔は見事な枝ぶりの松を見ながら茶を嗜む、きっと風流な茶屋だったはず。


うなぎや
横内集落の江戸方端に鰻屋、その店名も”うなぎや”。


岩村藩領傍示杭跡
”うなぎや”前が岩村藩領傍示杭跡。、「従是西巌村領横内」と記す傍示杭のモニュメントが立つ。


これより東海道岡部宿碑
横内を出れば岡部宿は近い。


岡部宿の松並木
岡部宿の松並木。


岡部宿の松並木
かつて横内と岡部宿の道中は横内縄手と呼ばれる松並木の直線道だった。


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岡部宿

【2016年12月24日(土)旧東海道 岡部宿】
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東海道五十三次之内岡部 宇津之山
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「岡部宿」より引用

旧東海道の横内縄手を東へ進むほどに山々が左右に迫り、その直線道が途絶えれば岡部宿の町並みがはじまる。岡部宿は東海道難所の一つ、宇津ノ谷峠を控える山間の小さな宿場で、今も道筋の静かな町並みに往時の面影を偲ばせている。中でも大旅籠だった柏屋は江戸時代後期の佇まいが残存、内部には東海道を往来する旅人や女中の人形を配し、訪れれば当時の旅籠を存分に感じられよう。その南隣にあった内野本陣は建物の遺構こそ残っていないものの、跡地は史跡広場に整備され、当時の間取りを平面表示、旧東海道を旅する者にとっては実にありがたい配慮をしてくれている。旧宿場町は往時の様子を垣間見て、実感できることに興味をそそられるものだ。

岡部宿は江戸日本橋から東海道五十三次を21宿目、京都三条大橋から33宿目。横町・本町・川原町の3町で成り、南隣の内谷村新町を加宿とする。天保14年(1843年)当時、宿内町並み南北13町50間余(約1.5km)、人口と家数は加宿内谷村新町を含めて人口2322人に家数487軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠屋27軒。本陣の内野家と仁藤家は本町にあり、問屋場は本町と新町に置かれていた。名物は宇津ノ谷峠付近で売られていた十団子。広重は「東海道五十三次之内岡部 宇津之山」の題で険阻な宇津ノ谷峠越えの街道と、その脇を流れる岡部川の急流を浮世絵に描いている。




五智如来公園
岡部加宿新町の京方入口付近にある五智如来公園。


五智如来公園
公園入口には冠木門を設け、その奥に五智如来を安置する。


五智如来像
五智如来公園に安置する尊像は2組10体。元は誓願寺境内の街道に面して並んでいたが、寺が移転したため現在地に移された。古い1組5体は宝永2年(1705年)田中藩主内藤弌信(ないとうかずのぶ)家老の脇田正明が寄進したもの、新しい1組5体は明治中期の作。


岡部宿新町曲尺手
岡部宿新町京方入口の曲尺手。


荻原こうじや
岡部宿旧新町の街道筋にある糀を製造販売する”萩原こうじや”。


岡部宿新町
岡部宿新町(旧内谷村新町)の町並み。


岡部宿新町
光泰寺参道入口付近、岡部宿新町(旧内谷村新町)の町並み。


光泰寺参道
旧東海道から分かれる光泰寺参道。


岡部宿新町
宿場町らしい佇まいの家が見られる。


岡部宿曲尺手
新町と本町の境をなした曲尺手。


弘法大師堂と高札場跡
弘法大師堂と高札場跡(写真右手)。


岡部宿
旧宿場町の佇まいを残す街道筋。


姿見の橋
宿内の旧東海道に架かる姿見の橋。晩年の小野小町が、長旅に疲れ果て老いた自身の姿を水面に見て嘆き悲しんだと伝わる。


岡部宿
旧東海道は宿内で静岡県道208号に合流。


初亀醸造
岡部宿にある初亀醸造。寛永12年(1635年)創業という造り酒屋。


岡部宿本陣跡
内野九兵衛本陣跡。街道に面して本陣門と塀を復元する。17時から”宿場竹灯り”が催されるとの案内板があり、日が暮れてからが楽しみ。


岡部宿本陣跡
内野本陣当時の間取りを平面表示。袋井宿東本陣跡でも同様の手法が見られた。


大旅籠柏屋
内野本陣の北隣、大旅籠柏屋。岡部宿最大の見どころ。江戸時代後期の建築で、旅籠時代の状態をよく残す。柏屋を経営していた山内家末裔のお婆さんが、近年まで一人でここに住み建物を守ってきたという。お婆さん亡き後に藤枝市が管理し、現在は整備されて一般公開する。国の登録有形文化財。


大旅籠柏屋
柏屋の入口を入れば江戸時代にタイムスリップ!


大旅籠柏屋
「ようこそ、いらっしゃしました。」
そんな声が聞こえてくるのは気のせいか。


大旅籠柏屋
柏屋の台所。


大旅籠柏屋
台所では客をもてなす食事の準備が整う。


大旅籠柏屋
柏屋2階の客間。ほのかな灯りの中、客2人が晩酌を楽しんでいる様子。江戸時代に旅人は、こんな感じで旅の夜を過ごしていたのだろうな。


大旅籠柏屋
柏屋1階、次の間と本座敷。一人で家を守り抜いてきたお婆さんの生活空間だったのだろう。


仁藤本陣跡
柏屋・内野本陣向かいにあった仁藤本陣跡。岡部北交差点北西角辺りがその跡地で、往時を偲ばせるものは無い。


宿場竹灯り
柏屋を出ると日が暮れはじめ、本陣門と塀が竹灯りのイルミネーションに浮かび上がる。


宿場竹灯り
柏屋裏手の”ギャラリーなまこ壁”と”和食処一祥庵”。


宿場竹灯り
竹灯りに土蔵造り風の建物が浮かび上がり幻想的な光景を作り出す。


宿場竹灯り
内野本陣跡で静かに辺りを照らす竹灯り。


宿場竹灯り
本陣跡最奥に鎮座する将軍稲荷の鳥居と竹灯り。


宿場竹灯り
竹灯りに浮かぶ柏屋。


岡部町名店会
すっかり辺りは暗くなり、柏屋から宿内を戻り五智如来公園へ向かう。本日はクリスマスイブ、岡部町名店会のイルミネーションを見てそのことを思い出させる。


五智如来公園
五智如来公園もイルミネーションに彩られ。


五智如来公園
東京の豪華絢爛なイルミネーションより、こっちの方がよっぽどいい。


鯛めし
岡部宿から静岡駅へバスで移動、東京駅に向かう新幹線車内にて。東海軒の”特製たいめし”を食べながら帰途につく。


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岡部宿川原町と十石坂

【旧東海道歩き 第26日目】岡部宿柏屋前停留所→岡部宿→丸子宿→府中宿→静岡駅



【2017年3月19日(日)旧東海道 岡部宿→丸子宿】
3月になって2017年初めての旧東海道歩きである。旧東海道歩きをはじめたのが2013年5月、早いもので間もなく4年が経つ。遅々として進んでいないが、ようやく静岡県にまで到達した。今年はどこまで歩みを進めることができるのだろうか、関東地方に春一番が吹き木々や虫の息吹を感じ始めた頃、そんな思いで東京駅からひかり463号岡山行に乗車、静岡駅から”しずてつバス”で岡部宿柏屋前停留所へ移動し、前回の終着地岡部宿から丸子宿・府中宿へ向かう。

岡部宿本町の大旅籠柏屋から岡部川を渡れば宿場江戸方端にあたる川原町、北側一帯の山と南側を流れる岡部川に挟まれた山裾の僅かな平地に形成された宿場江戸方入口にあたる町だった。川原町の江戸方外れに山裾が岡部川に接する場所があり、ここを越える東海道の坂道を十石坂と呼び、東海道分間絵図にも描かれている。しかし現在は開削されて県道が通され、ほぼ平坦な道と化しており、十石坂観音堂だけが山裾に残り往時を偲ぶ。十石坂を過ぎた旧東海道は徐々に左右に山裾が迫りくる中、岡部川の右岸を進みながら横添や坂下の集落を経て、いよいよ宇津ノ谷峠越えの山道に。坂下からは戦国期以前の中世に使われた宇津ノ谷峠越えの道、”蔦の細道”が分かれる。




岡部宿本陣跡
約2ヶ月半ぶり訪れた岡部宿の内野九兵衛本陣跡。


岡部宿本陣跡
年末の竹灯りに照らされていた本陣跡とは随分と雰囲気が違う。


大旅籠柏屋
岡部宿最大の見どころ、大旅籠柏屋。率直な感想、ここに泊まれるなら泊まってみたい。


旧東海道 岡部町岡部
岡部宿本町の静岡県道208号から分かれる旧道。


専称寺
文禄4年(1595年)開基の専称寺。江戸時代に伝授された”一ト火灸(ひとひきゅう)”という灸療法を続けている。


岡部橋と岡部川
岡部川に架かる岡部橋。ここを渡れば岡部宿の本町から川原町に。


岡部川
岡部川の水は少ない。


岡部橋北詰
岡部橋北詰で旧道は右折。直進の道は三星寺の参道。


三星寺
曹洞宗三星寺。


笠懸松西住法師墓入口
笠懸松西住法師墓入口。


昭和49年頃の笠懸松
笠懸松へアクセスする登り口に設置の解説板より。昭和49年(1974年)頃の笠懸松、周囲の木々が低く、外から見てもひと際目立つ存在だった。


笠懸松登山道
笠懸松登山道から麓の解説板を望む。結構な急勾配の山腹を登っているところ。


笠懸松
これが笠懸松。西行の弟子だった西住という僧が、師の西行から破門されて途方に暮れる中、岡部で病に倒れこの松の木に笠を懸けて辞世の句を残し、この世を去ったと伝わる。破門とした訳は西行が武士から暴力を受けたときに、報復でその武士を杖で殴ってしまったことにあり、西行は自身を思ってとった行動だけに、その死を知って深く悲しみ歌を残したという。

西へ行く 雨夜の月や あみだ笠 影を岡部の松に残して
西住

笠はあり その身はいかに なりならむ あわれはかなき 天の下かな
西行


笠懸松
笠懸松の根元には西住の墓がひっそりと佇む。


笠懸橋
笠懸橋より笠懸松の山を望む。昭和49年には見えていた笠懸松は周囲の木々が育ち外からでは視認できない。


旧東海道 岡部町岡部
昭和49年に撮影された笠懸松の写真に写っていたガソリンスタンドらしき建物。現在も廃墟となりながら残っている。


静岡県道208号 岡部町岡部
岡部宿川原町の江戸方端あたり。かつては宿入口の木戸が設けられていたと思う。


静岡県道208号 岡部町岡部
十石坂に差し掛かる旧東海道。左手の山裾が岡部川にかかる地点で、現在は開削されてほぼ平坦な道と化している。


十石坂観音堂
十石坂の旧東海道筋に残る十石坂観音堂。ここは江戸時代に西行山最林寺の境内一角にあたり、文化5年(1808年)火災により本堂等が焼失してしまうが観音堂だけが残った。入母屋造りの観音堂は江戸時代末期の建立と推測されている。


十石坂
観音堂より十石坂の旧東海道岡部方面を望む。


岡部製茶工場
観音堂向かいにある岡部製茶工場。十石坂には江戸日本橋から48里(約188km)を示す一里塚があったのだが、今はそれがどこにあったのかがわからない。東海道分間絵図を見ると「一里塚両方榎一本づゝ、二つながら海道より左に有」と書かれており、十石坂から岡部川の対岸に一里塚があったのではないかと読み取れる。一里塚が築かれた江戸時代初期に東海道は岡部川の南岸を通っていたのかもしれない。


東海道分間絵図 岡部03
国立国会図書館デジタルコレクションより引用
東海道分間絵図の岡部宿付近。赤矢印が示すところに江戸日本橋から48里目の岡部(十石坂)一里塚が描かれており、どう見ても街道から岡部川を挟んで対岸にあったと思える。岡部(十石坂)一里塚は京三条大橋からは67番目で実測約325km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定)にあたる。


岡部川
十石坂付近を流れる岡部川。


静岡県道208号 岡部町岡部
十石坂を過ぎて間もなく、県道から旧東海道が左に分かれる。


岡部台
住宅地の岡部台入口前を横に見ながら。


静岡県道208号 岡部町岡部
左に岡部川、右に民家が並ぶ横添の集落の中を旧東海道は進む。


弥左エ門橋
横添の旧東海道に架けられる弥左エ門橋。


横添の名残松
横添の名残松。


静岡県道208号 岡部町岡部
横添の集落から徐々に上り坂となり。東海道分間絵図には”けへい坂”と記されている。


静岡県道208号 岡部町岡部
沿道にはかつての街道を思わせる建物も見え。


廻沢口交差点
廻沢口交差点で国道1号に合流。交差点手前で左に分かれる県道208号が、明治から昭和初期にかけて使われた東海道。


道の駅宇津ノ谷峠
道の駅宇津ノ谷峠。


旧東海道 岡部町岡部
道の駅の北側に現れる旧東海道。


旧東海道 岡部町岡部
国道1号の下を潜り抜け。


旧東海道 岡部町岡部
宇津ノ谷峠登り口、坂下の集落へ向かう旧東海道。左側は国道1号によって開削されているが、かつては両側に山裾が迫っていたのだろう。右脇を木和田川が流れ、奥に坂下集落の民家が見える。どこかで見たような風景。そう、ここが広重の浮世絵に描かれた景観によく似ているのだ。


東海道五十三次之内岡部 宇津之山
東海道五十三次之内岡部 宇津之山
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「岡部宿」より引用

上写真の場所がこの浮世絵のモチーフとなったのであれば、道の右脇を流れる川は岡部川ではなく、木和田川ということになる。


坂下地蔵堂
坂下集落を行く旧東海道。写真中央の建物が坂下地蔵堂。


坂下地蔵堂
坂下地蔵堂は東海道名所記にも書かれる御堂で、本尊の延命地蔵尊は鼻取地蔵とも呼ばれ親しまれる。建立年不明、元禄13年(1700年)岡部宿の住人3名が発願して再建し、新たに鐘楼を建立した。東海道名所記から坂下地蔵堂が登場する一文を紹介しておこう。
「宇都の山たうげハ、道せばく。一騎うちに通る難所なり。峠に地蔵堂あり。又、下り坂口にも、地蔵あり。清水ありて。夏旅をたすく、玉葉に、宗尊親王の哥(歌)に
茂りあふ 蔦も楓も紅葉して 木陰秋なる うつの山越


蘿経記碑
地蔵堂境内にある蘿経記(らけいき)碑。元は宇津ノ谷峠の京方登り口近付近に置かれていた。文政13年(1830年)中世以前の宇津ノ谷峠越えの道だった”蔦の細道”を名残り惜しみ、駿府代官の羽倉外記(簡堂)が建立した。


宇津ノ谷峠旧道
旧東海道と蔦の細道の分岐点。左を登る道が旧東海道、右の舗装された道が蔦の細道。


木和田川
蔦の細道の脇を流れる木和田川。


木和田川ニ号堰堤
木和田川二号堰堤。木和田川は明治43年(1910年)8月の豪雨により大規模な土石流が発生、下流域は土砂に埋まり15町歩に及ぶ田畑が埋没してしまう。後に災害対策としてオランダ人ヨハネ・デレーケが直接指導し、大小8基の石積砂防堰堤が築かれた。その形から兜堰堤とも呼ばれる。このニ号堰堤は平成15年の豪雨で崩壊、復旧復元工事により原形に近い形に戻された。


蘿径亭
中世以前の宇津ノ谷峠へ向けて延びる蔦の細道。左の建物は休憩施設の蘿径亭。いずれここに再び訪れ、この先を歩いてみたい。


蘿径亭
蘿径亭の内部は旧家の主屋を思わせる造り。


蔦の細道
蔦の細道を引き返し。


木和田川一号堰堤
木和田川最下流の一号堰堤を見て。そろそろ、旧東海道から宇津ノ谷峠を越えよう。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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