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東鹿越駅(根室本線) ~廃止まであと3ヶ月、2023年末~




7年前の台風被害により廃止を免れ、奇しくも根室本線(東鹿越駅~新得)の代行バス発着駅となり今に生き残った東鹿越駅。しかし来年(2024)3月、根室本線(富良野~新得)と共に廃止され消える。当ブログの記事『東鹿越駅(根室本線) ~石灰石の積み出しで賑わった駅~』に書いた冒頭の解説をそのまま引用したい↓

『空知郡南富良野町字東鹿越に所在する東鹿越駅。駅名は所在地名によるもので、鹿越の東側に位置していることに由来する。駅裏手の山腹一帯には明治35年(1902)に発見された大規模な石灰石鉱床があり、同41年(1908)王子製紙が石灰鉱山の開発に着手、大正3年(1914)国富鉱山鹿越鉱業所が操業を開始し、昭和18年(1943)には日鉄鉱業東鹿越鉱業所が開設された。第二次大戦により富士製鉄(後の新日鉄)室蘭製鉄所の石灰石需要が増大したことで、当駅から日鉄鉱業東鹿越鉱業所を繋ぐ専用線が設けられ、石灰石が室蘭へ向けて盛んに運ばれた。戦後復興期にも鉄鋼需要が拡大し副原料である石灰石の需要が増大、北部の鹿越鉱山(現 王子木材緑化鹿越鉱業所)や東鹿越鉱山(現 日鉄鉱業東鹿越鉱業所)の生産が増強され、昭和30年代には道内の炭鉱や道路用をはじめ、製紙・製糖工場・肥料用に販路を拡大した。

東鹿越駅は昭和16年(1941)東鹿越信号場として開設されたことにはじまり、同21年(1946)一般駅となり旅客業務を開始、同30年代には石灰石の積み出しで全盛期を迎え、駅南西方向空知川左岸の平地部には鉱山関係者の長屋が並んで住宅街を形成、同23年(1948)には東鹿越小学校が開校する。滝川・富良野方面へ向かって西隣には明治33年(1900)開業の鹿越駅を中心に形成された市街があり、鉱山の発展に伴って少なからず繁栄を享受したことだろう。しかしながら大正期から計画されていた金山ダムが昭和41年(1966)に完成、これに伴い根室本線(金山~東鹿越間)が新線に切替わり、旧線上にあった鹿越駅や周辺の市街はダム湖に沈み消えた。

平成9年(1997)東鹿越駅は貨物列車の運行終了と共に完全無人化。同12年(2000)東鹿越小学校が幾寅小学校へ統合され廃校となり、地域の過疎化が進行して駅の利用客も減少し、同28年(2016)6月にJR北海道は当駅と島ノ下駅(現 島ノ下信号場)を翌年3月のダイヤ改正に合わせて廃止する意向を地元に伝えた。しかし8月に北海道で大雨をもたらした台風10号の被害により富良野駅~音別駅間で橋梁流失や土砂流入が相次いで不通となり、東鹿越駅~新得駅間は復旧されることなく代行バスの運行を開始。東鹿越駅は事実上、滝川・富良野方面からの根室本線終着駅となり、新得方面へ向かう代行バスとの乗換駅になったことから廃止を免れ現在に至っている。

JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば東鹿越駅の乗車人員は45.8人。富良野~帯広間を鉄道で往来する旅客が代行バスに乗り換えするために乗降する旅客がほとんどで、不通になる以前の平成27年(2015)の乗車人員はわずか1人、利用客がほぼいない状況だった。石灰石搬出で賑わったのも今は昔、皮肉にも自然災害によって運命を長らえた東鹿越駅だが、来年(2024)3月31日の運行をもって廃止される根室本線(富良野~新得)と運命を共にする。』

廃止まであと3ヶ月、2023年末の様子を。


落合_USA-R339-6_1948(昭23)04
空中写真データ:国土地理院 整理番号 落合_USA-R339-6を基に作成
昭和23年(1948)撮影、東鹿越駅周辺の空中写真。金山ダム完成の18年前で”かなやま湖”はまだ存在しておらず、富良野方面の根室本線は鹿越駅経由の旧線ルート。これに沿って左下(南西方向)へ延びる線路が日鉄鉱業東鹿越鉱業所の専用線で、石灰の積み出しに利用されていた。根室本線と専用線に挟まれる場所に鉱山関係者の長屋が並んで住宅街を形成、空中写真の撮影年(1948)に開校した東鹿越小学校は日鉄鉱業所有の日鉄会館を仮校舎としており、どの建物かわからない。駅前通りは空知川の川岸に降りて橋を渡り北へ延びていた。

東鹿越小学校沿革02
南富良野町ホームページより引用。
東鹿越小学校沿革

富良野_CHO7729-C3-70_1977(昭52)_03
空中写真データ:国土地理院 整理番号 富良野_CHO7729-C3-70を基に作成
昭和52年(1977)撮影、東鹿越駅周辺の空中写真。金山ダム完成から11年後、駅北側一帯は”かなやま湖”に沈み、富良野方面の根室本線は現ルートに切り替えられた新線。日鉄鉱業東鹿越鉱業所の専用線や東鹿越小学校(2000年廃校)の校舎、駅裏手には新たに設けられた王子鉱業鹿越鉱業所の石灰集積場が確認できる。


東鹿越駅01

東鹿越駅02
15:12発滝川行普通列車と15:13発新得行代行バスが発車した直後、東鹿越駅に到着。


東鹿越駅03
駅舎前に車が停まっていたので先客がいるのかと思いきや誰もいない。


東鹿越駅09
座る場所はこの4連ベンチのみ。


東鹿越駅04
待合室北東面。板張りされた切符販売窓口を残す。


東鹿越駅05
窓口の手荷物台にはサイン色紙に描かれた駅名標と駅ノート。


東鹿越駅06
窓口横には太田さんから寄贈された蝶の標本。収集時期は主に1970年代、約50年が過ぎて色褪せてしまったのだろう。しかし昆虫が当時の状態を残していると考えれば保存状態は良好といえる。駅の廃止後にこういった展示物はどうなるのだろうか。


東鹿越駅07
普通運賃表と発車時刻表。次の列車まで2時間以上、さすがに誰もいないわけだ。


東鹿越駅08
待合室北西面、駅前出入口。左角部分はトイレなのだが、何ゆえか出入口は外にある。


東鹿越駅22
駅舎とホームを繋ぐ連絡路より幾寅・新得方面。島式ホームの駅舎側は使わておらず構内踏切を設けていない。


東鹿越駅21
連絡路より雪に埋もれる富良野方面。


東鹿越駅10
ホームより駅舎


東鹿越駅11
ホームにある石灰石より幾寅・新得方面。


東鹿越駅12
駅舎南西(富良野側)隣にあるこの建物は旧トイレ?


東鹿越駅13
幾寅・新得方面へ延びる線路は雪に埋もれ。


東鹿越駅16
駅名標より金山・富良野方面。


東鹿越駅19
廃止後真っ先に撤去されてしまうはずの駅名標。


東鹿越駅20
かなやま湖やキャンプ場を紹介する名所案内。


東鹿越駅17
ホーム端より幾寅・新得方面。王子木材緑化鹿越鉱業所の石灰工場が右手に見える。この雪に埋もれた線路を見れば、ここが列車の終着だということを身に染みて感じるだろう。


東鹿越駅18
ホーム端より金山・富良野方面。


東鹿越駅前バス停留所02
駅前に立つ東鹿越駅前バス停留所。


東鹿越駅前バス停留所01
東鹿越駅の廃止後、この場所に交通機関を使って訪れることはできるのだろうか。


かなやま湖
最後に鹿越大橋より東鹿越駅方面。凍結した”かなやま湖”の湖面にはテントを貼ってワカサギを狙う釣り客。その下には鹿越駅とその市街が沈んでいる。


訪問日:2023年12月30日(土)
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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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