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しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

■現在地

現在の行程地図

現在地:三条大橋(京都府京都市)

江戸から534km 京都まで0km

■高札場




    【 中山道 旅の報告 】 

2008年10月13(月)
江戸日本橋を発ってから・・・
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋
応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪

 

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大津宿
東海道は品川宿から数えて53番目、中山道は板橋宿から数えて69番目の宿場町となる大津宿。江戸から京都へ向かう旅人にとっては最後の宿場町であり、その先には大化の改新以後に関所が置かれた逢坂山が控える。大津宿からは琵琶湖西岸を辿って敦賀へ通じる北国街道が分岐し、更に逢坂山北麓を京都へ向かう裏街道が分岐していた。この裏街道は本道の”逢坂越え”を大関に例え、”小関越え”と呼ばれた。

大津宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ東西16町51間(約1838m)・南北1里19間(約3962m)、人口14892人、家数3650軒、本陣2、脇本陣2、旅籠71軒。数値だけ見てもその規模の大きさは計り知れるのだが、中山道中最大規模を誇った本庄宿が人口4554人・家数1212軒であったことを考えれば尚更なわけだ。また、大津は667年天智天皇によって近江大津宮(大津京)が築かれた場所で、僅か5年間ではあるがかつての都でもある。


旧東海道・石場踏切
旧東海道は石場踏切を越えて大津宿へ。


大津宿・大津市中央・京町
現代ではただの狭い路地と化した旧東海道は、旧大津宿内を西へ進む。


大津宿・平野商店街
平野商店街となっている旧東海道筋。


旧東海道・唯泉寺前
唯泉寺前を行く旧東海道。


大津宿・大津市中央・京町
何となく宿場町の面影が漂う。

大津宿・大津事件碑
写真の左手前に見えるの碑は、ここで大津事件が起きたことを後世に伝えるために建てられている。大津事件は明治24年(1891年)ロシア皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)を警備にあたっていた巡査の津田三蔵が斬りつけた暗殺未遂事件。加害者の取り扱いについて政府と司法が対立し、三権分立という近代原則の足がかりとなった。


大津宿・京町一丁目交差点
京町一丁目交差点はかつての札の辻。東海道と北国街道の分岐点にあたるここは、高札場が置かれていた。写真交差点を直進する道が北国街道であり、小関越えの旧道入口でもある。


大津宿・本陣跡付近
大津宿本陣跡付近。宿場の中心だったのだろうこの辺りは、全く往時の面影を残していない。道幅は大きく広げられて京阪京津線が道の中央を走る。


大津宿本陣跡・明治天皇聖跡碑
大津宿本陣跡にある明治天皇聖跡碑。本陣の遺構は全く残っていない。


大津宿・春日町
旧東海道は大津宿を出で逢坂の上りにさしかかる。


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近江路 | 00:39:57 | Trackback(0) | Comments(0)
義仲寺
唐突ですが、ここで問題を一つ。
平安時代末期、源頼朝に先駆けて平家追討の兵を挙げ、倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破って念願の上洛を果たした武将といえば誰?

そう、正解は木曽義仲。木曽路を歩いてきた者にとっては、大変馴染み深い人である。その木曽義仲が葬られたという場所が義仲(ぎちゅう)寺で、膳所城北総門跡からすぐ先の旧東海道沿道にある。京に入った後の義仲は乱れた京の政情を治められず、後白河法皇とゴタゴタを起こした末、源頼朝によって派兵された源義経の軍勢に攻められる。抵抗空しく呆気なく都を落ちた義仲は、近江国粟津(あわづ)の地で討たれた。

義仲寺は松尾芭蕉の墓があることでも知られている。松尾芭蕉は義仲寺が大変気に入っていたらしく、日本各地を行脚する傍ら、度々義仲寺を訪れて滞在した。元禄7年(1694年)旅の途中で病に罹り、大坂の旅宿で床に臥せた芭蕉は、ついに最期を迎える。生前に残した「木曽殿の隣に」という遺言によって義仲寺に葬られたという。


義仲寺
旧東海道沿道にある木曽義仲の墓所・義仲寺。木曽義仲を弔うために出家して尼僧となった巴御前(義仲の側室)が草庵を結んだことに由来があるという。


朝日堂
義仲寺本堂の朝日堂。木曽義仲が朝日将軍と名乗っていたことに名の由来があるのだろう。聖観世音菩薩を本尊とする。


義仲公墓(木曽塚)
木曽塚と呼ばれる木曽義仲の墓。いかにも古そうな宝篋印塔を据えている。


巴塚
木曽義仲墓の横に佇む巴塚。


翁堂
芭蕉翁座像を安置する翁(おきな)堂。


花卉図天井画
翁堂の天井画「四季花卉の図」。江戸時代中期の絵師伊藤若沖(いとうじゃくちゅう)筆によるものだが、原画は安政3年(1856年)類焼により焼失した。現在の画は明治21年(1888年)穂積永機によって復元されたもの。


芭蕉翁墓
松尾芭蕉は遺言によりここ義仲寺に埋葬された。「芭蕉翁終焉記」に”木曽塚の右に葬る”とあり、今もその通りの位置に墓がある。

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る



義仲寺
義仲寺を後に。


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近江路 | 23:19:25 | Trackback(0) | Comments(0)
膳所城址
御殿浜を離れた東海道は勢多口総門から膳所(ぜぜ)城内へ入る。現在も城下町らしい曲りくねった旧道と、沿道の所々にある神社にはかつての城門が移築され、往時の様子を物語る。膳所城は琵琶湖の南側沿岸、大津市街の東部に位置する膳所崎と呼ばれる場所に築かれた水城。関ヶ原合戦後に東海道の押さえとして、徳川家康の命により藤堂高虎を奉行として築城された。


膳所城勢多口総門跡
東海道の膳所城南側入口にあたる勢多口総門跡。


膳所城勢多口・枡形跡
勢多口総門跡を過ぎると、すぐに枡形らしき道筋が残っている。


若宮八幡神社表門(旧膳所城犬走り門)
若宮八幡神社表門は膳所城の犬走り門を移築したもの。高麗門の様式で軒丸瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋が見られる。


旧東海道・杉浦町
かつての膳所城内を行く旧東海道。古さを感じさせる家が所々に残る。


篠津神社表門(旧膳所城北大手門)
篠津神社表門は膳所城の北大手門。犬走り門と同じように高麗門の様式で、やはり軒丸瓦に立葵紋が見られる。


膳所城跡公園(本丸跡)
本丸跡は膳所城跡公園として整備されている。写真は公園入口の模擬城門。


膳所城本丸跡
かつて4重4階の天守が築かれていた本丸跡。天守の姿が湖面に映されて美しい景観を作り、「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城」と謡われた。


琵琶湖御殿浜・本丸跡から望む
本丸跡から御殿浜を望む。


近江大橋
本丸跡の北側には近江大橋が架かる。


膳所神社
膳所神社。表門は膳所城から移築した薬医門である。


縁心寺
縁心寺は慶長7年(1602年)膳所藩初代藩主の戸田一西(とだかずあき)によって建立。後の膳所藩主本多家の菩提寺となった。


和田神社のいちょう
旧東海道を歩いて木下町へ入ったすぐ左手にある和田神社。境内にある大イチョウは関ヶ原合戦に敗れた石田三成が捕らわれて京へ送られる途中、休止の際にこの大木に繋がれたという。


旧東海道・響忍寺前
長屋門がどっしりと構える響忍寺前を行く旧東海道。


石坐神社
社殿が鎌倉時代の文永3年(1266年)建立という石坐(いわい)神社。


膳所城北総門跡
東海道の膳所城北側入口にあたる北総門跡。旧東海道は枡形らしき道筋を辿る。


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近江路 | 12:27:01 | Trackback(0) | Comments(2)
粟津の晴嵐
【第44日目】(2008/10/13) 大津宿→三条大橋



中山道歩き旅はいよいよ最後の行程。ゴールとなる京都三条大橋へ向けてJR石山駅を発つ。空は青く澄みわたり、最後を飾るにふさわしい絶好のウォーキング日和となった。近江八景「粟津の晴嵐(あわづのせいらん」として有名だった晴嵐の旧東海道へ歩みを戻してから、旧街道をちょっとだけ逸れて琵琶湖南端の御殿浜を散策する。


JR石山駅
JR石山駅から旧東海道へ。


JR石山駅・松尾芭蕉像
駅前で松尾芭蕉に見送られ。


旧東海道・晴嵐
大津市晴嵐から旧東海道へ歩みを戻す。付近はNECや日本精工等の工場が建ち並ぶちょっとした工業地帯。


「農業試験研究発祥の地付近」碑
晴嵐付近の旧東海道は琵琶湖南端の沿岸を進んでおり、かつてその沿道周辺は粟津が原と呼ばれる原野が広がっていた。明治28年(1895年)ここに滋賀県農事試験場が開設され、昭和3年(1928年)に移転するまで農業試験研究が行われた。開設以来100年を迎えた平成7年に建立されたのがこの記念碑。


晴嵐松
近江八景の「粟津の晴嵐(あわづのせいらん」とはここのことで、往時を偲ばせる松並木が残されている。昔は琵琶湖を背景にして見事な松並木の東海道だったのだろうが・・・。


御殿浜
旧東海道は琵琶湖南岸の御殿浜へ。街道を少し北に外れれば琵琶湖が眼前に広がる。


琵琶湖・御殿浜からの眺め
御殿浜から琵琶湖北方を望む。写真中央に見える森は膳所城跡公園(本丸跡)。


琵琶湖・御殿浜からの眺め
御殿浜から北東に目を向ければ、近江富士こと三上山が遥かに望める。


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近江路 | 00:50:26 | Trackback(0) | Comments(2)
瀬田の唐橋
琵琶湖を水源として注ぎ出る瀬田川。その上流部に架かる瀬田の唐橋は近江八景の「瀬田の夕照(せきしょう)」として名を馳せ、宇治橋・山崎橋と共に日本三名橋の一つに数えられる。古代より京の都を守る者にとって瀬田の唐橋は、東国から攻め上ってくる敵を迎え討つ最後の砦であった。”唐橋を制する者は天下を制す”と言われた所以である。


瀬田の唐橋
日本三名橋の一つ瀬田の唐橋を渡る。


瀬田川
唐橋の下を流れる瀬田川。古代より京の都を防衛する軍事的要衝の地だった。


瀬田の唐橋
瀬田の唐橋は壬申の乱・源平合戦・承久の乱・建武の戦いなど、多くの戦乱の舞台となった。


瀬田の唐橋
近江八景「瀬田の夕照」は今も健在。


瀬田の唐橋
薄雲かかる月夜の空を背景にして。


旧東海道・石山商店街
唐橋を渡ると石山商店街の町並みが続く。


旧東海道・石山商店街
石山商店街を通り抜け、JR石山駅から宿泊先の草津へ。

【第43日目】踏破距離 約20.7km(守山宿→草津宿→大津宿)
日本橋から約524km 京都まで約10km 
いよいよクライマックスへ。


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近江路 | 22:04:00 | Trackback(0) | Comments(4)
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